味噌なめ地蔵(山梨県南巨摩郡身延町)
山梨県南巨摩郡身延町、国道52号から富士川橋を渡った先にある下田原(しもたんばら)地区は、緑深い山々と富士川の清らかな流れに挟まれた、心安らぐのどかな場所です。この静かな地域に、古くから地域の人々の心の拠り所となっている不思議な石像があります。
それが今回ご紹介する味噌なめ地蔵です。
小道を入った先にひっそりと佇むお堂には、「みそなめ地蔵」と書かれた看板が立てられており、その名の通り、このお地蔵さまには、身延の地で長きにわたり語り継がれてきたユニークな習わしが今も息づいています。
不思議な名前の由来とは?
まず気になるのが「味噌なめ地蔵」というユニークな名前です。
その由来が気になるところです。
それは不思議な伝説が関係していました。
今からおよそ200年から300年も昔のことと伝えられています。
下田原の裏山に入ったきこりが、人の形に似た大きな石を見つけました。
彼は「何か謂われのあるものかもしれない」と感じ、麓まで下ろそうとしましたが、石はあまりにも重く、やむを得ず鉈(なた)で二つに割って運ぶことにしました。
ところが、きこりが鉈を切り付けたその瞬間、驚くべきことに石の切り口から一筋の血が流れ出したのです。
慌てたきこりは、思わずお弁当の中に入っていた味噌を石の「傷口」に塗ってみました。すると、不思議なことに血はすぐに止まり、さらに「傷口」までもが元通りになったといいます。
この奇跡に、人々は「これは、けがや病気から人々を救ってくれるお地蔵さまに違いない」と確信しました。
この出来事から、このお地蔵さまは後に「味噌なめ地蔵」と呼ばれるようになったのです。
自ら選んだ?鎮座する場所
味噌なめ地蔵の不思議な伝説には続きがあります。
自ら鎮座する地を選んだということです。
人々は、この尊いお地蔵さまを八日市場(ようかいちば)にある大聖寺(だいしょうじ)というお堂まで運ぼうとしました。
何人もの村人が集まり、「わいしょ、わいしょ」と声を掛け合いながら運び始めましたが、下田原の辺り、特に坂下(さかした)まで来ると、お地蔵さまはまるで意思を持ったかのように、ぱったりと動かなくなってしまったのです。
石工が軽くしようと削っても多量の血が出たという話も伝わっています。
村人たちは、これを「お地蔵さまがこの地に留まることを望まれているのだ」と解釈しました。そして、この場所にお堂を建て、お地蔵さまを祀ることに決めたのです。
こうして、味噌なめ地蔵さまは下田原の地に永く鎮座することになったのです。
味噌なめ地蔵への厚い信仰
この地区の人々は、子どもが転んで膝をすりむいた時には、お地蔵さまの膝に味噌を塗って痛みが治まるよう祈願したり、家族が風邪を引いた際には、お地蔵さまの喉に味噌を塗って平癒を願がったりと味噌なめ地蔵さまへの厚い信仰を続けてきました。
管理人はかつて目に味噌を塗ると目の病気が治る、あるいは目の病気にかからないといわれている目疾(めやみ)地蔵尊と出会ったことがありますが、まさか他に味噌を塗られているお地蔵さんが存在するとは!
この町にお医者さまがほとんどなかった頃には、富士川の対岸からも、多くの人々が祈願に訪れ、そのご利益を求めていたといいます。
この信仰は現在まで続いています
地区の皆さんは「みそなめ地蔵を守る会」を結成、お堂の掃除や雑草の除去といった日々の管理を行いながら、伝承をお芝居にして演じるなど、積極的にその物語を語り継ぐ努力をされています。
味噌なめ地蔵へのアクセス
みそなめ地蔵さまへのアクセスはこちらの記事に詳しく書かれています
行こうと思っている方は参考にしてみてください
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