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鍋かぶり地蔵(稲荷町、祝言寺)

立地的には上野と浅草の中間に位置する松が谷エリアもまたお寺の集中したエリアとなります
そのエリア内の祝言寺というお寺に「鍋かぶり地蔵」という珍しい名前のお地蔵さんがいると聞いたので行ってきました

祝言寺は曹洞宗のお寺で萬年山と号します。

山号 萬年山
院号  
寺号 祝言
宗派 曹洞宗
本尊  
創建 太田道灌
開基 良山存久大和尚
地蔵 鍋かぶり地蔵など


太田道灌が建立し、良山存久大和尚によって開山されました

稲荷町、祝言寺、レンガ調の山門

タイル張りとなっているので、近代的なイメージです
かつては日比谷の辺りにあった祝言村に建てられたものが、江戸城の拡張工事に伴って現在の地に移転したとのことです

稲荷町、祝言寺、山門

山門
訪れた日がお祭りが開催されていた為、このようなアングルとなってしまいました

稲荷町、祝言寺、本堂

本堂
内井昭蔵による設計で、昭和60年(1985)に竣工されました
本堂に続く道も枯山水風となっており、手入れがなされている印象

稲荷町、祝言寺、鍋かぶり地蔵

こちらが鍋かぶり地蔵
もはやお地蔵さんの原型をとどめていないので、予備知識がなかったら素通りしているところです

一体なぜ鍋かぶり地蔵という変わった名前がつけられたのでしょうか?
それは地震があった際に偶然上から落ちてきた鍋が頭の上にかぶさって難を逃れたことに由来しているようです
眼病治癒に霊験があるとのこと

稲荷町、祝言寺、石仏

稲荷町、祝言寺、地蔵菩薩

その他にも石仏を何体か見つけることができました

【アクセス】
台東区松が谷1-6-17
東京メトロ銀座線 稲荷町駅3出口から徒歩約5分
東京メトロ銀座線 田原町駅1出口から徒歩約7分

目黒区碑文谷周辺のお地蔵さん(正泉寺、鬼子母神堂)

円融寺のある目黒区碑文谷でもいくつかお地蔵さんを見つけることができました

まずは正泉寺の境内の中で4体のかわいらしいお地蔵さんを見つけました
複数のお地蔵さんというとどうしても6体並んでいる六地蔵をイメージしてしまいます

jizo-bosatsu.hatenablog.com

目黒区、正泉寺、お地蔵さん

正泉寺は浄土宗のお寺で法呑山と号します。
元亀3年(1572)に乗誉上人良達存冏和尚が、相馬郡に泉應院として創建
1590年に麻布櫻田・赤坂溜池付近に移転、その後も何度かの明治末期から大正期にかけて当地へ移転されました

山号 法呑山
院号  
寺号 正泉寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 元亀3年(1572年)
開基  
地蔵 地蔵菩薩
その他  

目黒区、正泉寺、山門

山門

目黒区、正泉寺、本堂

本堂

目黒区、正泉寺、地蔵菩薩像

地蔵菩薩

【アクセス】
目黒区碑文谷1-8-14
東急目黒線 西小山駅 徒歩12分
東急目黒線 洗足駅 徒歩13分

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こちらも円融寺近くにあった鬼子母神

目黒区、碑文谷鬼子母神


1616年にこの地に住む安藤藤八郎氏によって創建されたとのことです
鬼子母神十羅刹女と書かれた石碑

碑文谷鬼子母神、十羅刹女と書かれた石碑

十羅刹女とはなんなんでしょうか?
調べてみると仏教の天部における10人の女性の鬼神とのことです

鬼子母神は子供と安産の神様として知られていますね
割と立派なお堂と水子地蔵さまを見つけることができました

碑文谷鬼子母神、水子地蔵

目黒区のサイトによると品川区西小山の摩耶寺にあったものが移転されたみたいですね

【アクセス】
目黒区目黒本町6-24

六地蔵など(目黒区、円融寺)

円融寺は天台宗のお寺で経王山と号します。
仁寿3年(853)に慈覚大師が創建した天台宗法服寺が起源となっています
かつては日蓮宗のお寺で末寺75ヶ寺を擁すほど栄えた時期もありましたが、江戸幕府の弾圧を受け天台宗に再び改宗
境内にある釈迦堂は、都内では東村山市正福寺地蔵堂に次いで古い建造物として、国指定重要文化財に指定されています

山号 経王山
院号 文殊院
寺号 圓融寺
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建 伝・853年(仁寿3年)
開基 伝・円仁
地蔵 六地蔵
その他 関東108地蔵98番

 目黒区、円融寺、釈迦堂

関東108地蔵98番でもあります

山門

目黒区、円融寺、山門


昭和26年(1951年)に品川御殿山の原邦造邸から移築されたもの
平成元年に屋根が修復され、袖塀が造築されました

阿弥陀堂

目黒区、円融寺、阿弥陀堂



圓融寺を代表するシンボル的な建築物
旧本堂の後方に高くそびえる雄大な新本堂は、昭和50年(1975年)に建立されました

鐘楼

目黒区、円融寺、鐘楼


現在の鐘楼は平成元年記念事業で再建されたものです

日源上人五重石塔

目黒区、円融寺、五重石塔


圓融寺の前身である日蓮宗法華寺の開基日源上人の供養塔
高さは約4.4メートルあり、各軸石には上から「妙」「法」「蓮」「華」「経」と刻まれています
昭和55年(1980年)に目黒区指定文化財となりました

仁王門

目黒区、円融寺、仁王門


建立時期は不明、江戸時代の寛文期(1661-1672)と永禄期(1688-1703)の間に大改修が行なわれたため、足利時代の面影はほとんど残っていません

真公稲荷

目黒区、円融寺、真公稲荷


お寺の中に鳥居があることに違和感を覚えるが、これは神仏習合の時代の名残とのこと

石仏群

目黒区、円融寺、石仏群

六地蔵

目黒区、円融寺、六地蔵

円融寺公式サイト

【アクセス】
目黒区碑文谷1丁目22番地22号
東京急行電鉄目黒線西小山駅」徒歩15分
東急東横線学芸大学駅」徒歩20分
JR渋谷駅東口バスターミナル東急バス(52番)洗足駅行(71系統) 「円融寺前」下車 徒歩3分

枕返延命地蔵尊など(和光市、地福寺)

地福寺は天台宗のお寺で瑞應山地蔵院と号します。
尊恵上人が開基となり永延年間(987-988)に開基しました
本尊は阿弥陀如来

関東百八地蔵第七番札所となっています

 

山号 瑞應山
院号 地蔵院
寺号 地福寺
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建 不詳
開基 尊恵上人
地蔵 枕返延命地蔵尊・延命地蔵尊・六地蔵
その他 関東108地蔵7番

 

こちらには枕返延命地蔵尊という変わった名前のお地蔵さんがいます
このような名前が付いたのは次のような話があるからです

このお寺を開基した尊恵上人が都幾川村の慈光寺に向かう途中、白子宿で急病に倒れ意識不明の状態が3日続きました
しかしその時に白衣の童子を連れた地蔵菩薩が現れて「尊恵上人は明朝生き返る」とお告げがありました
すると不思議なことにそれまで北枕で寝ていた上人が、頭を西に向けて蘇生しました。
この地蔵尊を「枕返しの地蔵」といって、今でも地福寺に置かれています。

和光市、地福寺の御朱印

御朱印にも枕返延命地蔵尊と書かれています
住職の方に境内の中のどちらにそのお地蔵さんがあるのか訊ねてみました
すると本堂の中にあるとのことで、親切にも中に上げて頂きました

和光市、地福寺の本堂の仏像

この仏像の中に入っている小さなお地蔵さんが枕返延命地蔵
姿を見ることができないといった点で秘仏といって良いでしょう

和光市、地福寺入り口の石碑

地福寺入口の石碑

和光市、地福寺山門近くの石柱

山門の近くにはお地蔵さんと関東百八地蔵第七番札所と刻まれた石柱

地福寺の山門

山門

和光市、地福寺の本堂

本堂

和光市、地福寺の鐘楼

鐘楼

和光市、地福寺の六地蔵

六地蔵

和光市、地福寺の延命地蔵

延命地蔵

和光市、地福寺のお地蔵さん

こちらもお地蔵さんでしょうか

【アクセス】
埼玉県和光市白子2-18-1
副都心線 地下鉄成増駅2出口から徒歩約12分

六地蔵など(法禅寺)、平蔵地蔵(海雲寺)

東海道品川宿もまたお寺の多いエリアである
山門と本堂のみというシンプルなお寺も多かったが、その中からお地蔵さんを見つけることのできたお寺をいくつか紹介します

 

法禅寺は浄土宗のお寺で臨海山遍照院と号します。
明徳元年(1390)に言譽定賢によって創建されました。
本尊は阿弥陀坐像、東海三十三観音霊場31番札所となっています。

山号 臨海山
院号 遍照院
寺号 法禅寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀坐像
創建 明徳元年(1390年)
開基 言譽定賢
地蔵 六地蔵など
その他 東海三十三観音霊場31番札所

品川,法禅寺、山門

山門
レンガ造りの門柱は珍しいですね

品川、法禅寺、杉鼻稲荷

杉鼻稲荷

品川、法禅寺、本堂

本堂

法禅寺、六地蔵

天保の大飢饉でなくなった人たちを祀る供養塔(流民叢塚碑)の近くには六地蔵が立っていました

品川、法禅寺、布袋尊

布袋さんも

品川、法禅寺、子育て地蔵

こちらは子育て地蔵でしょうか

【アクセス】
品川区北品川2-2-14

京急電鉄 新馬場駅北口出口から徒歩約3分
京急電鉄 北品川駅出口出口から徒歩約4分

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続いて見つけたのは品川千躰荒神で有名な海雲寺

山号 竜吟山
院号 瑞林院
寺号 海雲寺
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音
創建 慶長元年(1596)
開基 海晏寺五世分外祖耕大和尚
地蔵 平蔵地蔵など
その他 品川千躰荒神


千躰荒神とは江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてきた火と水をお守り下さる神様です
春秋大祭は江戸年中行事の一つにもなり、かなりの人出があって毎年賑わいをみせています

海雲寺は竜吟山瑞林院と号します
当初は庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺(かいあんじ)境内にあって臨済宗でしたが、慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺となりました
本尊は十一面観世音、江戸三十三観音霊場番外番札所となっています

またトイレの神様として知られる烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札を頂ける貴重なお寺でもあります

品川、海雲寺、山門

山門

品川、海雲寺、鐘楼

鐘楼

品川、海雲寺、千躰荒神堂拝殿

千躰荒神堂拝殿

品川、海雲寺、平蔵地蔵

こちらでは「平蔵地蔵」というお地蔵さんを見つけました
以下看板の書いてあった文章を引用します
「江戸末期、鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。
その一人平蔵は、ある日、大金が入った財布を拾って届け、お礼のお金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。しかし、仲間たちは金を山分けにすれば三人とも乞食をやめて暮らせたのにと腹を立てて、正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった。
この顛末を聞いた財布の落とし主の武士は、大変悲しみ、地蔵像を建てて平蔵の菩提を弔ったという。」
このように実在した人を弔って建てられたお地蔵さんというのも少なからずあります
以前紹介したたこ八郎地蔵もその一つですね

jizo-bosatsu.hatenablog.com

【アクセス】
品川区南品川3-5-21

京急電鉄青物横丁駅」から徒歩2分

海雲寺公式サイト

http://www.sentaikoujin.com/

しばり地蔵尊(願行寺)

以前に縄でしばられたお地蔵さんを紹介しました

jizo-bosatsu.hatenablog.com

jizo-bosatsu.hatenablog.com


しかし都内にはまだ縄でしばられたお地蔵さんがあると聞いて行ってきました

願行寺は浄土宗のお寺で即成山光明院と号します。
観譽祐祟日祐上人によって寛正3年(1462)に創建されました。

山号 即成山
院号 光明院
寺号 願行寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建 寛正3年(1462)
開基 観譽祐祟日祐上人
地蔵 しばり地蔵
その他  

開山はそれより約10年後、観誉祐祟上人が当時品川の海辺にあった草庵を今の場所に移して一宇を建立したことによります


また文京区向丘にある同名のお寺は、このお寺の諦譽上人東流和尚がしばしば江戸城に呼ばれたことから、馬喰町に地所を拝領し建立したものです

新馬場、願行寺、山門

山門

新馬場、願行寺、本堂

本堂

新馬場、願行寺、法界堂

法界堂(永代供養堂)

 

そしてありましたしばられたお地蔵さん
不気味なのが背後に並べられている首、そしてお地蔵さん自体にも首から上がありません
(首っぽいのは置かれていましたが・・)

新馬場、願行寺、しばられ地蔵

願行寺、しばられ地蔵

新馬場、願行寺、しばられ地蔵と背後の首


なぜお地蔵さんに首がなく、何体もの首が並べられているのでしょうか?

それは近くの看板に書かれていました
新編武蔵風土記の巻54の「願行寺」の項には「里人しばり地蔵という。病を祈るもの縄にてしばれは験あり、十夜に至りて和尚縄を解く、其の後しばり初むと云う」とある
地蔵尊は我が身を縛られることで病や災難に苦しむ者の身代わりとなり、その苦しみを引き受けてくださるのである。

いつの頃かお首を一つそっと持ち帰り毎日お祈りをして、願が叶ったらお首を二つにしてお返しするなどの願の掛け方も行われるようになった

・・さすがに首を持ち帰る勇気はありませんでした
今まで数多くのお地蔵さんを見てきましたが、祈願者がお地蔵さんの顔をすげ替えるというパターンは初めてです

【アクセス】
品川区南品川2-1-12
最寄駅:京浜急行新馬場」南口徒歩1分