お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

六地蔵など(證誠院)

六地蔵

 

千葉県松戸市に本尊がお地蔵さんのお寺(證誠院)があるので行ってきました。

 

【目次】

 

證誠院(しょうじょういん)の基本情報

證誠院

 

證誠院は真言宗智山派のお寺で、山号は慈眼山。
元文元年(1736年)創建、昭和13年大隅新太郎翁により移転再建。
本尊は地蔵菩薩像。

 

山門

山門 

 

手水舎

手水舎

 

鐘楼

鐘楼

 

十三重石塔

十三重石塔

 

本堂

本堂

本堂

 

大隅新太郎翁像

大隅新太郎翁像

 

仁王像

仁王像

仁王像

 

観音像

観音像

 

龍大権現が鎮座する塚

白龍大権現が鎮座する塚

白龍大権現が鎮座する塚

 

證誠院のお地蔵さん

證誠院のお地蔵さん

 

六地蔵

六地蔵尊

 

残念ながら、ご本尊の地蔵菩薩像を拝見することができませんでした。
毎月24日のお地蔵様の縁日の際には開帳されるのでしょうか?
機会を見つけて再訪する必要がありそうです。

 

證誠院へのアクセス

千葉県松戸市松戸新田604-2
新京成線「みのり台駅」より徒歩2分

 

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斬られ地蔵(本福寺)

斬られ地蔵

 

千葉県松戸市本福寺には、斬られ地蔵という名前のお地蔵さんがいます。
いったいどうしてこんな名前が付いているのでしょうか?
お寺の基本情報と共に紹介していきたいと思います。

 

【目次】

 

本福寺の基本情報

本福寺時宗のお寺で、山号は禮拝山、院号は恭敬院。
本尊は阿弥陀如来
開祖大聖遊行二祖他阿真教上人が嘉元元年(1303)千駄堀に創建(諸説あり)
上本郷の豪族澤田五郎兵衛より寺領の寄進を受けて、慶長末期(1596-1615)に現在の地に移転しました。
吉田松陰が東方遊学を計画し、出発した際に追手から逃れる為、宿泊した寺としても知られています。

 

寺号標

寺号標

 

本堂

本堂

本堂

 

聖観音

聖観音像

 

鐘楼

鐘楼

 

大師堂

大師堂

 

一遍上人

一遍上人像

 

本福寺のお地蔵さん

六地蔵

六地蔵

 

斬られ地蔵

斬られ地蔵

 

その名前の由来は、松戸市のHPに書いてありました。

 

昔、覚蔵院というお寺がありました。
このお寺で盆踊りがあった夜の事、踊りの輪の中にこのあたりでは見かけないひときわ踊りの上手な男がいました。
村の娘たちがその男にうっとりしているのを見て、面白くないと思った村の若者が、その男を斬りつけたところ、男は暗闇へと姿を消しました。
翌朝、その若者がお寺に来てみると、お地蔵さんの胸に大きな刀傷があったので、夕べの踊りの上手な男はお地蔵さんだったのかと驚いて、ひれ伏して謝ったと言います。
なお、覚蔵院というお寺はもうありませんが、「斬られ地蔵」は本福寺に祀られています。

 

斬られ地蔵

 

確かに刀傷のような跡があります。
斬られ地蔵は上本郷七不思議のひとつとなっています。

 

おみくじ

 

おみくじのようなスロット状のものが備え付けられていました。

 

本福寺へのアクセス

千葉県松戸市上本郷2381


新京成線上本郷駅、JR常磐線北松戸駅から徒歩で約10分

 

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子育て地蔵尊(上板橋)

上板橋の地蔵堂

 

商店街のマスコットキャラクターとなっているのが、まもりん坊というお地蔵さん。
モデルとなったのが東武東上線上板橋駅」南口にある商店街に安置されている子育て地蔵尊

 

上板橋商店街のお地蔵さん


今回の記事では、地域に密着しているこのお地蔵さんを紹介したいと思います。

 

子育て地蔵尊

子育て地蔵尊

 

当地に安置さている地蔵は、通称「子育て地蔵」と呼ばれ、人びとに広く親しまれています。
お堂の中にある二体の地蔵は、もともと栗原堰の一本橋(現在の桜川一丁目5番地)付近に建っていたものといわれていますが、それを裏付けるように、石仏の台座や本体には貞享5年(1688)や安永6年(1777)といった造立された年号や、上板橋村栗原を中心とした奉納者の名前が刻まれています。
明治初年に、これらの地蔵は、川越街道に面した「ガッカラ坂」と呼ばれる当地に移ったといわれています。
大正3年(1914)川越街道と東上鉄道(現在の東武東上線上板橋駅 を結ぶ道(現在の上板南口銀座)が通じた時には、両道が交差した角地に据えられていましたが、この時すでに地蔵は倒され、放置された状態であったといわれています。
また、移転した当初には三体あった地蔵も、いつしか二体となっていたといいます。
その当時、宝田豆腐店主であった宝田半二郎氏は、地蔵が荒れ果てた状況にあったことを憂慮し、大正12年頃に店舗に隣接した現在の場所へと地蔵を移しました。
さらに昭和10年頃になると、半二郎氏の子息である宝田源蔵氏と七軒家の木下仙太郎氏が中心となって、地蔵をお祀りする地蔵講 を結成しました。
講員も三百名を数えたといわれています。
都市化がすすんだ現在も、子育て地蔵は、人々の素朴な願いを引き受ける地蔵様として、商店街を中心に大切に守られ、お祀りされています。
また、4月から9月にかけての7の付く日には、地蔵堂の前の旧川越街道で縁日が開かれるなど、地域の活性化にも一役かっています。

 

子育て地蔵の由来から引用

 

お地蔵さん

 

左側のお地蔵さんは安永6年(1777)10月の造立。
右側のお地蔵さんは安永7年(1778)2月の造立。
ともに舟形光背型の地蔵立像となっています。

 

子育て地蔵尊へのアクセス

板橋区上板橋2丁目2-19

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