お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

開山堂(両大師)のお地蔵さん

開山堂(両大師)のお地蔵さん

 

東京国立博物館に行く途中、隣に未訪のお寺(開山堂・両大師)を見つけました。
寛永寺は訪問済ですが、その開山堂にはまだ行ったことがありませんでした。
基本情報と共に紹介していきましょう。

 

【目次】

 

開山堂(両大師)の基本情報

開山堂(両大師)は天台宗のお寺で、山号は東叡山、寺号は輪王寺
明治二年寺号は廃止されたが、明治十六年に復活するとともに門跡の公称が許可されました。
門跡とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院を指します。

 

ちなみにその名前(両大師)の由来は、天海大僧正慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)の両者を祀っていることに由来します。
創建は正保元年(1644)で当初は、前年に亡くなられた天海大僧正のみを祀る開山堂でした。

 

山門

山門

 

手水舎

手水舎

 

本堂

本堂

 

現在のお堂は平成五年に再建されたものです。

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂

 

開山堂(両大師)のお地蔵さん

地蔵堂のお地蔵さん

地蔵堂

 

地蔵堂の中には、立像、座像の二体のお地蔵さんが安置されていました。

 

お地蔵さん

 

阿弥陀堂のお地蔵さん

阿弥陀堂のお地蔵さん

 

中央には阿弥陀如来坐像、向かって右側には阿弥陀如来坐像、左側には地蔵菩薩立像が脇侍のような配置で安置されていました。
大きさの比率がアンバランスなのは、元は別の場所に安置されていたからとのことです。

 

kaisando.kaneiji.jp

 

開山堂(両大師)へのアクセス

東京都台東区上野公園14-14 開門時間・閉門時間 : 午前8時〜午後4時

 

 

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快慶作のお地蔵さん(藤田博物館)

木造地蔵菩薩立像

画像引用:藤田美術館快慶作の地蔵菩薩

 

快慶は鎌倉時代初頭に活動した仏師です。
同じ流派(慶派)の巨匠として運慶がおり、共作である東大寺南大門の金剛力士像の印象が強いが、その作風には違いがあります。
運慶は力強く荒々しい表現が特徴である一方、快慶は繊細で優美な表現が特徴的です。
作風的には快慶の方がお地蔵さんとの相性が良い気がしますが、その手によって生まれたお地蔵さんはあまり多くないみたいです。

 

【目次】

 

藤田美術館地蔵菩薩

藤田美術館とは

藤田美術館大阪市都島区網島町にある美術館です。
明治時代に活躍した藤田傳三郎と息子たちによって作られました。
彼らは、大名旧家や寺社に伝わる文化財が海外に流出したり、国内で乱雑に扱われることに危機感を抱きました。
傳三郎は実業家でありながら美術品の愛好家でもあり、美術品の収集を通じて国の宝を守ることを決意しました。
彼の想いは息子たちに受け継がれ、1954年に藤田美術館が開館しました。

 

快慶作の地蔵菩薩

快慶作の地蔵菩薩

画像引用:藤田美術館「快慶作の地蔵菩薩

 

藤田美術館に収蔵されている快慶作の地蔵菩薩は、木造で高さは約60㎝。
1208年~1227年頃の間に造られたと考えられています。
目はガラスを嵌め込んだ玉眼となっており、光背は金属製でこの地蔵菩薩のために作られたものではなく、他の像(文殊菩薩であろう)からの転用と言われています。

 

日本画と同じような顔料で彩色され、非常に色鮮やかな地蔵菩薩です。
驚くべきことに修復などで塗りなおしておらず、彩色は当時のまま残っています。
これは厨子に入っていたことが理由であると考えられています。

 

雲の上に蓮台があり、その上に立っており、雲に乗って飛ぶ姿を表現しています。
このことは空を飛ぶような前傾姿勢になっていること、横から見ると棚引く雲の尻尾が見えることからも分かります。

 

また明治39年に奈良の興福寺にあったことが分かっています。
藤田美術館に渡った正確な経緯は不明ですが、廃仏稀釈で荒廃した興福寺が、復興を目指して破損仏を売却した中に含まれていたと言われています。

なおこの地蔵菩薩重要文化財に指定されています。

 

この記事の作成にあたって、ウェブサイトからの画像引用の許可を頂きました。
藤田美術館のスタッフの方に心より感謝申し上げます。

 

藤田美術館へのアクセス

大阪市都島区網島町10-32
JR東西線 大阪城北詰駅より徒歩1分
京阪電鉄 京橋駅より徒歩10分
大阪メトロ長堀鶴見緑地線京橋駅より徒歩7分

 

fujita-museum.or.jp

 

快慶作のその他の地蔵菩薩

藤田美術館地蔵菩薩以外に快慶が作った地蔵菩薩

 

 

などあまり数は多くありません。
参考「快慶」ウィキペディアページ

 

 

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延命地蔵塔(豊島区)

延命地蔵塔

 

とげぬき地蔵尊で著名な「巣鴨地蔵通り商店街」から種子地蔵のある「大正大学」に向かう途中に偶然見つけた延命地蔵塔です。

 

【目次】

 

延命地蔵尊

 

中山道にある「延命地蔵尊」と書かれた路地を入ります。

 

延命地蔵堂の石仏群

 

するとすぐに「延命地蔵堂の石仏群」と書かれた建物が見えてきます。

 

延命地蔵堂の石仏群

以下は地蔵堂の近くにあった「豊島区教育委員会掲示板」より抜粋したものです。

 

江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。
その墓標として延命地蔵が建立された。以来、さまざまな供養塔が集まった。

昭和二十年(1945)四月十三日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけた。
終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再建し、毎年八月二十四日に法要が行われている。
平成二十四年(2012)十一月、地域の民間信仰を示すものとしてその重要性が評価され、豊島区登録有形民俗文化財となった。

 

延命地蔵

延命地蔵塔

 

延命地蔵堂の中心となる地蔵尊である。
角柱型の安山岩に、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏座像の地蔵が浮彫されている。
現在は傷みが激しく、建立年代等を知ることはできないが、地蔵像の形式などから、江戸時代初期のものと推定される。

 

地蔵像庚申塔馬頭観音

地蔵像庚申塔と馬頭観音塔

 

この庚申塔(画像右)については、かつては上部に日月があり、中央に地蔵菩薩立像、その下に三猿が描かれていたという明治期の記録がある。

馬頭観音塔(画像左)の台座前面の銘は一部欠損しているが、もとは「馬頭観世音」とあったとみられる。
巣鴨の住民が建立したものである。

 

延命地蔵堂の石仏群へのアクセス

東京都豊島区西巣鴨2-33-10

 

 

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