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子育て地蔵尊(石神井公園)

石神井公園の子育て地蔵尊

石神井公園に隣接する子育地蔵遊び場には、子育て地蔵尊が立っています。


お地蔵さんが公園に隣接することは珍しいことではなく、最近紹介した久下地蔵尊も公園の中にいらっしゃるお地蔵さんです。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

元文2年(1737)に造られたという歴史のあるお地蔵さん。
背丈も高く、台座を含めると3メートル近くあるように感じました。

 

子供たちが遊ぶ公園をお地蔵さんが見守るように立っているのは、非常に自然なことのように思います。

石神井公園 子育地蔵遊び場

子育て地蔵尊へのアクセス

練馬区石神井町7-4

久下地蔵尊(埼玉県飯能市)

久下地蔵の祠

埼玉県飯能市に久下地蔵尊という名前のお地蔵さんを見つけました。
久下地蔵公園の中にいらっしゃいました。
一体どんなお地蔵さんなのでしょうか?

久下地蔵尊とは

久下地蔵尊については、地蔵祠の中の掲示板に書かれていました。
以下引用します。

この地蔵尊は過去においていつ頃、誰が久下(稲荷町)地内に安置されたものか判明しませんが、古老の説によれば飯能戦争当時にはあったと言われます。
従来より附近の人々が崇敬した地蔵尊で、安産子育て交通安全のご守護を頂き、またお年寄りがお詣りすれば長患いをしないと言われています。
当初露座であったものを中里家の母堂の佛心により、上家を造り大切に維持してきましたが、年と共に痛んできましたので、今回建て直して長く奉拝して皆さまの幸せをお守りして頂きますようお願いするものであります。

久下地蔵尊 昭和53年8月吉日

久下地蔵尊

 お花が供えられ、住民による管理が行き届いていました

久下地蔵公園

久下地蔵公園

久下地蔵尊へのアクセス


飯能市稲荷町4-9

寛政六年地蔵(東小金井)

今回の記事では小金井市にある寛政六年地蔵を紹介します。
その名の通り寛政六年(1794年)に建てられたお地蔵さんとなります。

 

寛政六年地蔵

寛政六年地蔵とは

この地蔵は、右手に錫杖、左手に宝珠を持った石造の立像で、寛政六年(一七九四)に小金井村下山谷(現緑町)の念仏講中四十六名、願主の清水右衛門、鴨下佐吾兵衛によって建てられました。

念仏講は、極楽往生を願って南無阿弥陀仏を唱えながら百萬遍の数珠繰りなどをする信仰で、下山谷地域では享保年間(一七一六〜一七三六)から盛んになり、平成元年(一九八九)まで行われていました。

台座に「右 ふちう 大山みち」と道標が刻まれており、地蔵の前の道が田無方面から府中、さらに相模の大山石尊大権現(阿夫利神社)に通じ、大山道と呼ばれていたことがわかります。

上記の内容はお地蔵さんの近くに建てられていた小金井市教育委員会掲示板から引用しました

小金井市 地蔵通り

前の通りは「地蔵通り」と呼ばれています。

寛政六年地蔵へのアクセス

東京都小金井市緑町1-3-31

土屋誠一さんのギャラリーに行ってきました

土屋誠一さんが銀座でギャラリーを開くということで見に行ってきました。
土屋誠一さんとは静岡で石地蔵を創っている彫刻家。
都内に住む僕にとって馴染みのある池袋のいけふくろを創ったことのある方でもあります。
インスタグラムでその活躍ぶりは知っていて、いつしかお目にかかりたいと思っていたので、会えたことは大変うれしく思います。


【目次】


せっかくなので、土屋誠一さんのプロフィールなどを紹介したいと思います。

土屋誠一さんのプロフィール

彫刻家
サンドブラストアート作家

 

平成14年 ふくろう・オブジェなど石彫刻作品を発表。
人の暮らしに一番近い存在であり、精神的な世界観を持つ地蔵に惹れ、現在の石地蔵を中心とした制作活動に至る。
    
幼いころより、絵を描くこと、工作などに時間を忘れて夢中になる少年時代。読書や合気道など精神的・哲学的世界観に関心を持つ。

 

40歳でサンドブラストガラス彫刻の技術を習得し独立する。
初の個展をきっかけに、自分のアイデア、個性を見いだし、サンドブラスト工芸では、前例のない素材であるタイル、石、デニムなどに施し業界では異端児として注目されるようになるが、機械的な物づくりに疑問を感じ、立体的で精神的な作品に惹かれ、手彫りの石彫刻の修行に入る。

 

平成14年 初個展を開催、その後 国内をはじめイタリア、ボストンなどで作品展を経験するとともに、フィレンツェ(伊)では現地で地蔵彫刻をする。
平成28年より、人の心を癒し寄り添いたいと縁結び地蔵を製作する。

石地蔵 パンフレット

土屋誠一さんの略歴

平成元年 サンドブラストでガラス彫刻を始める。
  6年 静岡オリジナルクラフト展で静岡市文化団体連合会長賞
  8年 国民文化祭富山市)工芸部門入選
  9年 静岡県工芸展入選、静岡静岡オリジナルクラフト展入賞
  11年「ぎゃらりー誠一庵」オープン 
  13年 日本ブラストアート協会(JABA)設立発起人
  16年 デニムブラストアート作品を発表
  18年 石彫刻に取り組み始める
  20年 フィレンツェ(伊)地蔵讃歌 出展参加
  22年 フィレンツェ(伊)現地にて地蔵彫刻
  23年  東京豊島区 石彫ふくろう像制作設置
  24年 ネオジャパニズム委員会inボストン展覧会 銀賞
  27年 島田市往還下区画整理事業 記念碑、銘板 デザイン制作
  28年 島田市制10周年記念 地蔵モニュメント 制作
  29年 ふじのくに芸術祭 凖奨励賞

土屋誠一さんの作品

土屋誠一さん制作の石地蔵

土屋誠一さんの作品

銀座のギャラリーに展示されていたものです。

土屋誠一さんと管理人

一緒に写真を撮ってもらいました。
私のお顔は恥ずかしいのでボカシで・・

土屋誠一さんのウェブサイト

owl-dream.com

ホームラン地蔵(海徳寺)

ホームラン地蔵という変わった名前のお地蔵さんがいると知り、お地蔵さんのいる海徳寺に行ってきました。
そのお地蔵さんは錫杖の代わりにバットを、如意宝珠の代わりにボールを持った実に風変わりなお地蔵さんでした。
一体どういった理由でホームラン地蔵が誕生したのでしょうか?
そこには世界のホームラン王が関連していました。


【目次】

ホームラン地蔵はなぜバットとボールを持っている?

ホームラン地蔵

ホームラン地蔵が建てられた背景には、王貞治さんと少年との出会いがありました。
それは王選手がまだ新人だった頃の話です。

駒沢球場で行われた野球の試合で、王選手が打ったボールが少年に当たって怪我をさせてしまいました。
その怪我をした少年は岩崎和夫という名前の少年でした。

少年の入院していた病院を見舞った王選手は、少年の母親から和夫少年は野球が大好きだけど、心臓に病を患っており自分で野球をすることは叶わない状況であることを聞かされます。
そこから王選手と少年の交流が始まりました。

毎月少年のもとを訪ねるうちに、少年を励ましているつもりが自分が逆に励まされていることに気づかされました。
王選手は健康で野球ができるという感謝を少年から教えられたのです。

しかし和夫少年は13歳でその短い生涯を閉じてしまいました。
亡くなる前日にも病院にお見舞いに来ていた王選手は「さよなら、さよなら」という少年の最後の言葉を聞いたのだといいます。

和夫地蔵尊

このボールとバットを持ったお地蔵さんは、このような少年と王選手との交流の中から生まれたものだったのです。
その後ホームラン王となった王選手は、記録を更新するたびにこのお地蔵さんを訪れたのだといいます。


世界記録を更新する試合には、少年の母親と妹を招待しています。
いつしかこのお地蔵さんはホームラン地蔵と呼ばれるようになり(正式名称は和夫地蔵尊)、野球少年がお参りに来るお地蔵さんとして広く知られるようになりました。

海徳寺の基本情報

海徳寺は日蓮宗のお寺で、山号は自覚山、院号は松陽院。
大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺にしたのが始まりです。
開山は松陽院日増、本尊は三宝祖師像。

冠木門

海徳寺 冠木門

参道

海徳寺 参道

本堂

海徳寺 本堂

海徳寺 本堂 新馬場

海徳寺で見つけたお地蔵さん

海徳寺のお地蔵さん

ホームラン地蔵以外にも何体かお地蔵さんを見つけました
三体並んだお地蔵さんは、向かって左側が水子地蔵、右側が誠和地蔵と呼ばれるお地蔵さんでした。

水子地蔵

海徳寺 水子地蔵

誠和地蔵

海徳寺 誠和地蔵

その他のお地蔵さんなど

海徳寺 地蔵菩薩

海徳寺 お地蔵さま

海徳寺 お地蔵さん

釈迦生誕像

海徳寺 釈迦生誕像

海徳寺へのアクセス

東京都品川区南品川1-2-10
京急本線 新馬場駅北口から徒歩約5分

ほうろく地蔵尊(大円寺)

大円寺 ほうろく地蔵

 

前回八百屋お七のお墓がある円乗寺を紹介しました。

jizo-bosatsu.hatenablog.com


その円乗寺の近くの大円寺八百屋お七にゆかりの深いお地蔵さんがいます。
ほうろく地蔵と呼ばれるそのお地蔵さんは、一体どのようなものなのでしょうか?


【目次】

ほうろく地蔵とは

大円寺 ほうろく地蔵

 

ほうろくとはあまり聞きなれない言葉かもしれません。
浅い素焼きの土鍋のことです。

 

このほうろく地蔵尊は、八百屋お七の為にほうろくを頭からかぶって、灼熱の苦しみを受けているとのことなのです。

 

「いったいどうして?」

 

そう思われる人もいるかもしれません。
しかし衆生の苦しみを代わりに受けること(代受苦)は、お地蔵さんの特徴のひとつで何ら不思議はないのです。
八百屋お七がどのような人生を送ったのかは、前回の記事を参考にしてください。

大円寺 ほうろく地蔵尊

享保4年(1719)渡辺九兵衛がお七供養の為に寄進したものです。
なお現在では首から上の病気平癒のご利益があるとのことで、ほうろく地蔵尊の前には病気の名前が書かれたたくさんのほうろくが重ねられています。

大円寺の基本情報

大円寺曹洞宗のお寺で、山号は金龍山。
開山は上州茂林寺十二世久山正雄大和尚、開基は石河土佐守勝政。
本尊は聖観世音菩薩。

神田柳原に慶長2年(1597)創建、当地に移転したのは慶安2年(1649)のことです。
昭和新撰江戸三十三観音霊場23番、東京三十三観音霊場26番札所にもなっています。

山門

白山 大円寺 山門

 

本堂

白山 大円寺 本堂

 

子育て地蔵尊

白山観音菩薩像 大円寺 子育て地蔵

 

観音菩薩

白山 大円寺 観音菩薩像

 

石像

白山 大円寺 石像

 

松野自得句碑

松野自得句碑

高浜虚子の門人で曹洞宗の僧侶でもあった俳人の松野自得。
句碑には「花の匂いは 母のにおいよ 甘えたし」とあります。

大円寺のその他の文化財

大円寺へのアクセス

東京都文京区向丘1-11-3 都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩5分