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塩地蔵尊、六地蔵など(魚藍寺)

おしろい地蔵で有名な玉鳳寺に再訪した際に魚藍寺というお寺を見つけました

jizo-bosatsu.hatenablog.com

魚藍寺では山門近くに六地蔵と境内の中に塩地蔵、水子地蔵を見つけることができました
お寺に面している魚藍坂の名前の由来でもあります

 

【目次】

 

魚藍寺 山門

魚藍寺 六地蔵

魚藍寺の塩地蔵尊

魚藍寺 塩地蔵

 塩地蔵と呼ばれるお地蔵さんは、都内各地に存在します
これまでも何体もの塩地蔵と対面してきました

jizo-bosatsu.hatenablog.com

魚藍寺の塩地蔵尊は高輪の海から出現したと言われており、塩をお供えしてお願いをすればご利益があるとされています
周りにはたくさんの塩がお供えしてありました

塩地蔵にお供えされた塩

塩地蔵と水子地蔵

向かって右には水子地蔵もいました

魚藍寺の基本データ

魚藍寺は浄土宗のお寺で、山号は三田山、院号水月
本尊は魚藍観世音菩薩
江戸三十三観音霊場25番、東京三十三観音霊場4番にもなっています

魚藍観世音菩薩とは

魚藍観世音菩薩という名前は初めて聞きました
魚藍とは魚を入れる籠のことです
魚藍観世音菩薩とはその名の通り、右手に魚藍を持った観音様です

 

唐の時代の中国に仏教が伝わっていなかった土地に乙女の姿で現れ、魚藍を持って魚を売り歩きながら仏教を広めたという故事に基づいています。
このことから大漁祈願や海上安全にご利益があるとされていましたが、現在では商売繁盛や受験の合格祈願などにご利益があるとされています

 

魚藍寺の魚藍観世音菩薩は秘仏とされていて、通常は見ることができません
姿を見ることができるのは、5月の第二土曜日、大施餓鬼法要の時だけとなります

 

観音堂は普段は扉が閉じられています

魚藍寺 観音堂

 魚藍寺の歴史

魚藍寺は法誉上人によって、大分県中津市の圓應寺の中に元和3年(1617)魚藍院という名前で創建されました
三田に移転されたのは寛永7年(1630)です


法誉上人の弟子称誉上人が承応元年(1652)観音堂を創建して本尊を移したことにより、魚藍寺となりました

魚藍寺にある著名な建造物など

薬師如来坐像

魚藍寺 薬師如来

亀岩(子授けにご利益があるとされています)

魚藍寺 亀岩

また境内の一角に「おさかなの家」と書かれた難病と闘う子供の為の一軒家があります

魚藍寺へのアクセス

東京都港区三田4-8-34

東京メトロ南北線都営三田線 白金高輪駅より徒歩2分
都営浅草線 泉岳寺駅より徒歩10分

日限(ひぎり)地蔵尊、虫歯地蔵(松秀寺)

白金高輪駅近くの松秀寺に日限(ひぎり)地蔵尊というお地蔵さんがいると聞いて行ってみました
日限(ひぎり)地蔵尊とは一体どういったお地蔵さんなのでしょうか?

 

調べていくうちに色々と興味深い事実が分かってきました
また松秀寺には虫歯地蔵という珍しい名前のお地蔵さんがいたのも大きな収穫となりました

 

【目次】

日限(ひぎり)地蔵尊とは

松秀寺 日限地蔵の石碑

日限(ひぎり)地蔵尊とは「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩のことです

 

安土桃山時代会津藩第十二代藩主芦名盛氏がある日、夢の中で「泥深い葦の中に埋まっているお地蔵さんを出すべし」というお告げを受けました


さっそく家臣に鶴ヶ城城内の沼の中を探すように命じました
すると沼から三体のお地蔵さんが出現したので、それを時宗「西光寺」に地蔵堂を建てて安置しました

 

現在は日本全国にある日限(ひぎり)地蔵尊ですが、沼から出てきた三体のお地蔵さんは西光寺のほかは、この松秀寺と兵庫県明石市の法音寺に各1体ずつ祀られています


何と日限(ひぎり)地蔵尊の発祥となった三体のうちの一体がこの松秀寺にあるのです
しかしその日限(ひぎり)地蔵尊秘仏となっているらしく、その姿を見ることはできませんでした

虫歯地蔵について

かつては虫歯に悩むものがお祈りをして、ご利益があって虫歯が治癒した場合にお礼に楊枝をお供えしたとされています

松秀寺 虫歯地蔵

現在では多数の石仏に紛れていてどれが虫歯地蔵か分からない状態となっています

松秀寺の基本データと略歴

松秀寺

松秀寺は時宗寺院で山号は冬嶺山、院号は本寿院
本尊は阿弥陀如来

松秀寺の本殿

遊行第二世他阿真教上人が下高井戸に創建した当初は佛頂山常光寺と称していました
宝暦2年(1752)当地へ移転、現在の名称になったのは、明和年中(1764-1771)です 

お地蔵さんをはじめとして色んな石仏を見つけることができました

松秀寺を開祖した上人の像

松秀寺の石仏

周りを囲むお地蔵さん

周囲のお地蔵さん

周りをお地蔵さんらしき石仏が囲んでいました

松秀寺のお地蔵さん

今回は日限(ひぎり)地蔵尊を見ることができず、虫歯地蔵も特定することができないといった不完全燃焼が否めない結果となってしまいました・・

こんな日もあります(泣)

松秀寺へのアクセス

港区白金2-3-5
都営三田線 白金高輪駅より徒歩3分

落馬地蔵尊(早稲田)

早稲田駅の近くに落馬地蔵尊というお地蔵さんがいると聞いてお参りに行ってきました
落馬地蔵とはまた変わった名前ですが、いったいどういった由来があるのでしょうか?

【目次】

落馬地蔵尊とは

江戸幕府3代将軍、徳川家光公が遠乗りに出た際に、この地を通過した際に突然馬が暴れだして将軍が落馬してしまいました


怪しいと思った将軍がこの地を探索してみると、土橋の下から地蔵が出現したので、畏怖した将軍はこの地蔵を祀りました


これが落馬地蔵尊の始まりといわれています

早稲田 落馬地蔵尊

落馬地蔵尊の歴史

寛永13年(1636)高田の馬場が開設された際には、旗本や諸大名の馬術鍛錬の為、江戸城~牛込見付~落馬地蔵~穴八幡~高田の馬場という道順がとられました


馬に関連したお地蔵さんであったことも影響しているのでしょうか、馬術武芸の上達や安全を祈念するものも多かったといいます

文献などによれば、この地にあった浄土宗大養寺のお地蔵さんであるみたいです
大養寺は心蓮社欣譽上人が開山、創建したお寺です


戦災によって焼失するも再建され、現在も早稲田通りの歩道で道行く人を見守るように立っています

早稲田 落馬地蔵尊 石碑

早稲田 落馬地蔵尊 全体像

よく見ると左右に1体ずつ小さなお地蔵さんも座ってました

お花やお供え物がしてあって、地域の住民に愛されているお地蔵さんなのだという印象を受けました

落馬地蔵尊へのアクセス

新宿区早稲田町74 東西線早稲田駅より徒歩2分

上鷺宮の願かけ地蔵尊

西武池袋線中村橋駅」から西武新宿線鷺ノ宮駅」へと続く中杉通り沿いでお地蔵さんを見つけました
願かけ地蔵尊と呼ばれるそのお地蔵さんは、願掛けする方法がとてもユニークみたいです

【目次】

上鷺宮 願かけ地蔵尊

願かけ地蔵尊とは

願かけ地蔵尊は2体の石仏からなっています
向かって左側の大きなお地蔵さんは、正徳5年(1715)に建立され「奉供養仏講中鷺宮村願主篠氏敬白」と刻まれています。

右側の小さいお地蔵さんは「多摩郡鷺宮村 篠丈右衛門」の文とともに、現世だけでなく来世での幸せも祈願した「二世安楽」の文字が刻まれています。

上鷺宮 願かけ地蔵尊 小さい地蔵

願かけ地蔵尊へのお祈りの仕方

白装束で真夜中に祈りながら右側の小さい地蔵を倒します
すると隣の大きい地蔵は、倒された地蔵を起こしてほしい為に、願い事を聞き届けてくれるといわれています

願が叶ったら自分の手で小さい地蔵を起こしに行くというものです
このような祈願の仕方は昭和30年頃まで続いたそうです

現在では小さい地蔵が固定されていて、このような願掛けはできません

願かけ地蔵尊へのアクセス

東京都中野区上鷺宮1-2-14

西武新宿線「鷺ノ宮」駅から徒歩9分

首つぎ地蔵尊(南蔵院)

練馬区に首つぎ地蔵尊というお地蔵さんがあると聞いて行ってきました
何でもリストラにご利益のあるお地蔵さんとのこと
首がつながる=首つぎということなのでしょうか?

 

ところが最寄りの中村橋駅に着き、ネットで調べた場所をいくら探しても「首つぎ地蔵尊」が見当たりません
情報によれば八幡神社の本殿裏側にあるはずなのですが
約1時間ほど辺りをウロウロしても見つけることができません

中村橋 八幡神社

近くの参拝客などにも聞いたりしてみたのですが、結局見つけることができませんでした
本殿裏側では工事も行われている形跡がありましたので、もしかしたら一時的に移転したのかもしれません
残念ですがこれ以上探すことは断念・・

 

「首つぎ地蔵尊」に関しては、こちらの記事に詳細書かれていますので、気になる方はのぞいてみてください

 

肩を落としていると、何と近くに首つぎ地蔵がもう一体存在することが判明
練馬区の中村エリアには、同名のお地蔵さんが二体存在するということになります
さっそく別の首つぎ地蔵のある南蔵院へと足を運びました

南蔵院の基本データ

南蔵院真言宗豊山派のお寺で、山号は瑠璃光山、寺号は医王寺
本尊は薬師如来
御府内八十八箇所霊場15番札所、豊島八十八箇所霊場15番札所

南蔵院の歴史

永正年間(1504-1520年)に良弁僧都により開創(新編武蔵風土記稿)とする説と、開創年月については延文2年(1357)とする説(南蔵院由緒沿革)がある
江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領し、今は廃寺となっている西光寺や大日堂を末寺に擁していた
万病にきく白龍丸を頒布し「南蔵院の投げ込み」として全国に広まっていった

明治9年には本堂を使って小学校の教育が行われたこともあります(豊玉小学校)

練馬 南蔵院 山門

山門

練馬 南蔵院 本堂

 本堂

練馬 南蔵院 薬師堂

薬師堂

こちらが首継地蔵です

練馬 南蔵院 首継地蔵尊と祠

昭和7年に首のないお地蔵さんが中村の地に立っていました
あるところからお地蔵さんの首だけが保存されているという話があがったので、継ぎ合わせたところぴったりと合いました
このことからこのお地蔵さんを首継地蔵と呼ばれるようになりました

練馬 南蔵院 首継地蔵尊

赤い涎掛けがかかっているので、首のつなぎ目は確認ができません

練馬 南蔵院 鐘楼門

江戸時代中期の建築と考えられ、練馬区内唯一の鐘楼門
練馬区指定有形文化財となっています

南蔵院 金剛力士像

南蔵院 金剛力士像

鐘楼門には金剛力士像が立っていました

練馬 南蔵院 閻魔堂

閻魔堂

練馬 南蔵院 地蔵菩薩像

お地蔵さんをもう一体見つけました

練馬 南蔵院 慈母観音尊像

慈母観音尊像

境内は広々としており、庭園があるなど緑が多く、落ち着いて探索できるお寺でした
門前を南北に走る「南蔵院通り」という名前で知っている人も多いことでしょう

南蔵院へのアクセス方法

練馬区中村1-15-1
西武池袋線 練馬駅中村橋駅より徒歩10分

銀座エリアのお地蔵さん(新富 消防地蔵尊、宝地蔵尊)

銀座はお地蔵さんが少ないエリアです


パっと思いつくのは、三越屋上にいらっしゃる銀座出世地蔵尊

jizo-bosatsu.hatenablog.com

しかし少し足を延ばしてみると、路傍のお地蔵さんをいくつか見つけることができます

【目次】

新富 消防地蔵尊 縁起

昭和16年(1941)2月13日の深夜、この地に在った家具製作所から出火しました。
折からの強風に煽られ、火は7棟・170余坪(567㎡)を焼尽くしました。猛火の中を、逃げ遅れた女子従業員を救出しに入った少年を含め、3名の若い命が失われました。
翌17年(1942)4月、跡地に京橋消防署新富町出張所が設立され、地域防災の任にあたりました。

 

然しながら、出勤した消防隊員に負傷者が続発したり、又「非番なのに望楼へこつこつと登る足音がする」とか「夜中に少女がさめざめと泣く声が聞こえる」などの噂が広まりました。


昭和28年(1953)、消防署と協議し、町会役員・町内有志の発意と芳志により、此処に殉難者の鎮魂と地域の安全を祈願する(新富消防地蔵尊)が建立されました。


以後、さしたる災害もなく、平成に入り、競売消防署の新富町出張所はその任を終えましたが消防地蔵尊はそのまま存続し、昔を知るお年寄りの他、各種の願い事を祈願する人々の参詣も多く、今日に至っております。

新富 消防地蔵尊

新富町にある消防地蔵

 

少し前に火伏せ地蔵というお地蔵さんを紹介したことがあります

jizo-bosatsu.hatenablog.com


火事など火にまつわるお地蔵さんも探せばまだまだありそうな気がします

新富 消防地蔵尊へのアクセス

中央区新富1-7-1 

有楽町線 新富町駅より徒歩3分
銀座線 銀座駅より徒歩12分
都営浅草線 宝町駅より徒歩6分
日比谷線京葉線 八丁堀駅より徒歩5分

 


 

八丁堀と京橋の間に宝橋という橋が架かっています
この地にはかつては楓川という八丁堀舟入から日本橋への重要な舟運路がありました
前の東京五輪の際に楓川は埋め立てられ、川底は首都高1号線になりました

宝橋の上にある楓川宝橋公園にほとりにある地蔵祠
その祠の中に宝地蔵尊はいらっしゃいます

宝地蔵尊がいる地蔵祠

宝地蔵尊

地蔵尊とは

昭和29年(1954)夏の午後6時55分、当時8歳の児童が楓川に落ちて亡くなりました
その児童を供養し、二度と悲惨な事故が起こらないよう祈願する為に建てられたお地蔵さんです
地蔵祠のそばには交通安全を願う宝塔が建てられています

宝塔

地蔵尊へのアクセス

中央区八丁堀2-1