高円寺にある長龍寺には豆腐地蔵尊がいらっしゃいます。
同名のお地蔵さんは、文京区の喜運寺そして四谷の東福院にもいて、それぞれ名前に因んだ逸話がありました。
さて長龍寺の豆腐地蔵尊はどんな理由で名付けられているのでしょうか?
【目次】
長龍寺の基本情報
長龍寺は曹洞宗のお寺で、山号は富聚山。
文禄2年(1593)に心岩舜応和尚が麹町四番町に開創。
元和2年(1616)市ヶ谷左内坂(新宿区市ヶ谷左内町)に移転。
当地に移転したのは明治42年のことになります。
本尊は木造釈迦如来坐像。
お寺の名前の由来は、開山の玄室宗頓和尚が本寺である雲松院境内の池に住む竜に偈を授け、小蛇と化したのを捕えて当寺の寺宝とさせたのにちなんでいるとのこと。
寺号標
本堂
長龍寺浅間神社
お寺の境内に神社があるのは、なんだか違和感があります。
地蔵堂
地蔵堂の中に豆腐地蔵がいらっしゃいます。
豆腐地蔵
豆腐地蔵と名付けられた由来は、このようなお話がもととなっています。
まだ長龍寺が市ヶ谷にあったころの話です。
左内坂下の豆腐屋に夕暮れ時になると、いつもみすぼらしい姿をしたお坊さんが豆腐を買いにやってきました。
ところがもらった銭を見てみると、いつの間にか木の葉に変わっています。
困った豆腐屋さんは、お上に訴えることとします。
寺社奉行の役人、清水兵吉が張り込んでいると、いつものようにお坊さんが豆腐を買いにやってきました。
兵吉が声をかけると、お坊さんが逃げようとしたので、抜き打ちに一太刀を浴びせました。
お坊さんの姿は消え、道には血の付いた石のかけらが転がっていました。
その血の跡を辿っていくと、長龍寺の門前のお地蔵さんにたどり着きました。
お地蔵さんの右耳は欠け、頬には切り傷があります。
兵平はお地蔵さんを切りつけてしまったことを深く後悔し、出家しお地蔵さまに豆腐をお供えして供養しました。
以降豆腐屋は繁盛したことから、商売繁盛の守り神としてお詣りされるようになったといいます
都内の豆腐地蔵の名前の由来はどれも似たものですね、すべて怪しまれて切りつけられています。
江戸時代中期の造立とされ、杉並区登録文化財にもなっています。
両脇に立っているのは、子育て地蔵尊でしょうか
長龍寺の他のお地蔵さん
六地蔵
長龍寺へのアクセス
東京都杉並区高円寺南2-31-2