喜運寺は曹洞宗のお寺で光國山と号します。
源室氷高大和尚(慶長五年寂)が開山となり、起運寺と号して慶長3年(1598)桜田に創建、神田駿河台・お茶の水への移転を経て明暦大火の後当地へ移転されました
現在の名前「喜運寺」となったのは、元禄4年(1691)のことです
このお寺には延命豆腐地蔵尊と呼ばれる珍しいお地蔵さんがいます
お寺の入り口は閉まっていることが多いみたいですが、この日は運良く中に入ることができました
この名前の由来となるお話しを少し長いですが引用します
「昔、享保(きょうほう) 年間(1716~36年)の頃、喜運寺(きうんじ) ・白山2-10-3の門前に豆腐屋さんがありました。
ここによく豆腐を買いに来る小坊主がいたそうです。
ところが、その小坊主が買いに来る日にかぎって売上げのかごの中に小石が数個入っているのに店の主人が気付きました。
主人の吉兵衛は、「あの小坊主がくさい」と考えました。
ある日、いつものように小坊主が来たので、吉兵衛さんはそっと後を付けま した。
すると、気がついた小坊主は逃げ出しました。
「待てー!」と叫んで追いかけました。
そして、吉兵衛さんは包丁の背で小坊主の肩を打ち付けました。
「キャー!」という悲鳴とともに、小坊主は姿を消してしまいました。
驚いた主人は、これこそきつねかたぬきの仕業かとあかりを照らして見ると、地面に石のかけらが落ちていました。
石は水のようなものでぬれて点々と喜運寺の地蔵堂まで続いていました。
不思議に思った主人は、堂内のお地蔵様を見てみると何と肩先が欠けているではないですか。
さっきの拾った石をそこに当てるとピタリと合った。
小坊主は、お地蔵様の化身だったのです。
それから、このお地蔵様を人々は、「とうふ地蔵」と呼ぶようになりました。
そして、願いごとのあるときには豆腐を供えたそうです。」
本堂
中に豆腐地蔵がいるのを示しているのはこの境内の外にある標識?だけ
その他にも豆腐地蔵と名の付くお地蔵さんは、都内にいくつか存在します。
【アクセス】
文京区白山2-10-3