【目次】
喜多院 川越大師の基本情報
喜多院は天台宗のお寺で、山号は星野山、寺号は無量寿寺。
創建は慈覚大師円仁、本尊は阿弥陀如来。
関東三十六不動28番でもあります。
山門
山門は、4本の柱の上に屋根が乗る四脚門(しきゃくもん)の形式で、屋根は切妻造り、本瓦葺。
喜多院では現存する最古の建物でもあり、国指定重要文化財となっています。
喜多院 川越大師の歴史
天長7年(830)慈覚大師円仁によって勅願所として創建。
元久2年(1205)兵火で炎上。
永仁4年(1296)伏見天皇が尊海僧正に再興させる。その際に慈恵大師(元三大師)がお祀りされる。
正安3年(1301)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇が「星野山-現在の山号」の勅額を下す。
慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぐ。
慶長16年(1611)11月徳川家康公と接見、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改める。
寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失。3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興させます。
どろぼう橋
喜多院にはどろぼう橋を渡って入りました。
この奇妙な名前の橋の由来は、喜多院の公式サイトに書いてありました。
その昔、町中で泥棒をはたらいた者が、町奉行の捕り方に追われ、橋を渡り、喜多院の境内に逃げ込みました。
泥棒は喜多院と東照宮の境内が御神領で、江戸幕府の御朱印地でもあり、川越藩の町奉行も捕まえることができないことを知っていたのでした。
しかし、泥棒は寺男たちに捕らえられてしまい、厄除元三大師に心から罪を許してもらえるように祈り、すっかり改心して善人になりました。
そこで寺では幕府の寺社奉行にその処置を願い出たところ、無罪放免の許しが出、その後町方の商家でまじめに働き、一生を過ごしたということです。
それ以来、この橋を『どろぼうばし』と呼ぶようになったということです。
*場所も少し分かりづらいですし、どろぼう橋から喜多院にアクセスするのは一般的ではないかと思います。
慈恵堂
比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇。
大師堂、潮音殿と呼ばれることも。
喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りしています。
県指定有形文化財となっています。
多宝塔
寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立。
現在の地に移されたのは、昭和48年(1973)のことになります。
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。
県指定有形文化財となっています。
五百羅漢
川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立されたものです。
日本三大羅漢の一つに数えられる人気のある観光名所となっています。
500を超える像の中には、地蔵菩薩像もあるとのこと。
今回は中には入りませんでしたが、またの機会があればぜひ中をゆっくり見学してみたいものです。
小江戸川越七福神 大黒天
小江戸川越七福神の大黒天が祀られております。
天海僧正像
喜多院第27世住職であった天海僧正が徳川家康の信任を得ていたことから、徳川家とゆかりの深いお寺となっています。
苦ぬき地蔵尊
その名の通り、全ての苦しみを抜き取ってくれるお地蔵さんです。
喜多院 川越大師その他の文化財
喜多院 川越大師の年内行事
- 1月1日~ お正月初護摩
- 1月3日 初大師 だるま市
- 初甲子日 大黒天ご縁日
- 2月3日 節分会ご縁日
- 3月~4月 桜まつりと喜多院の桜
- 4月3~5日 長日大護摩講
- 5月8日 花まつり 灌仏会甘茶
- 5月下旬 植木市(彼岸前後にも)
- 8月16日 お盆せがき会
- 体育の日 第九 in 喜多院
- 10月~11月 七五三祝祷祈願
- 11月1~23日川越菊まつり
喜多院 川越大師へのアクセス
埼玉県川越市小仙波町1-20-1