大阪市天王寺区にある善福寺では、勝軍地蔵尊を見つけることができました。
勝軍地蔵尊は、武勲や戦勝祈願の地蔵尊で、馬にまたがり弓矢を持つことが多く、一般的に持つお地蔵さんのイメージとはかけ離れています。
一体全国にどのくらいの勝軍地蔵尊があるのでしょうか?めったにお目にかかれないお地蔵さんであることは間違いありません。
これまで数多くの寺院を巡ってきましたが、勝軍地蔵尊を見つけたのは板橋区の「青蓮寺」港区「真福寺」に続いて3体目です。
【目次】
善福寺の基本情報
善福寺は高野山真言宗のお寺で、山号は如意山、院号は甘露院。
推古天皇の勅願で聖徳太子が開創(伝承)本尊は弘法大師。
どんどろ大師という別名で知られています。これは鏡如庵大師堂(善福寺の以前の名前)の近くに住んでいた下総国古河藩主であった土井利位が弘法大師に深く帰依し、参拝していたために「土井殿の大師」(どいどののだいし)の名が起こり、どんどろ大師に転訛したからといわれています。
鏡如庵大師堂のあった付近は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣で真田幸村が真田丸を築いた場所として知られています。
善福寺は摂津国八十八箇所第11番にもなっています。
善福寺の歴史
- 1873年(明治6年)に住職の義等が帰農した為、鏡如庵大師堂は廃庵。
- 1879年(明治12年)鏡如寺(きょうにょじ)と寺号を改めて再興するが、まもなく廃寺。
- 1909年(明治42年)1月9日に大阪府豊能郡豊能町(旧大阪府豊能郡東能勢村)の如意山甘露院善福寺が鏡如庵大師堂のあった場所(現在地)へ移転。
- 1945年(昭和20年)6月1日、大阪大空襲により、本堂、諸堂や本尊の薬師如来像が焼失。
山門
本堂
大師堂
修行大師像が安置されています
「お弓 おつる」母子像
歌舞伎「傾城阿波の鳴門 どんどろ大師門前の場」に登場する「お弓 おつる」母子像
勝軍地蔵尊の建立百年とどんどろ大師善福寺中興當地開創百年を記念して建立されました。
勝軍地蔵尊
1907年(明治40年)5月21日に日露戦病死者を慰霊する為に建立されました。
金属供出の際には、巨大過ぎて運び出すことができず、供出されずに済んだとのことです。
毎月1日、21日には 勝軍地蔵尊護摩供(しょうぐんじぞうそんごまく)が営まれています。