お地蔵さんブログ

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勝軍地蔵(長久寺)

勝軍地蔵(長久寺)

 

埼玉県坂戸市にある長久寺には何と!猪にまたがった勝軍地蔵があります。
最初お地蔵さんが馬にまたがった勝軍地蔵の存在を知った時には大きな驚きがありましたが、まさか猪にまたがったお地蔵さんが存在するとは!
これは一目見なければいけない!と長久寺を訪れました。

 

【目次】

 

長久寺の基本情報

長久寺は真言宗智山派のお寺で、山号は八葉山、院号は来迎院。
創建年代は不詳、争含によって開山されました。

 

寺号標

寺号標

 

山門

山門

 

門の左右に金剛力士像を配する仁王門はよく見ますが、こちらは左右にお地蔵様。
いうならば地蔵門というところでしょうか?

 

お地蔵さん

お地蔵さん

 

観音堂

観音堂

 

鐘楼

鐘楼

 

長久寺で出会ったお地蔵さん

勝軍地蔵

勝軍地蔵など

 

江戸時代の中ごろ、享保十四年(一七二九)に造 られた石像です。
愛宕様とよばれる塚の上に置かれ、 鎧を付けた姿で武器は持たず、イノシシの背に誇った珍しい姿をしています。
石像の大きさは、約六十センチメートル、二段に重ねた台石の上に置かれているため、全高では、百十センチメートルになり ます。

 

武人の姿をした守り神には、「摩利支天」と「勝軍地蔵」 があります。
鎌倉時代以降、武家の間で信仰され、災いを除き、利益を与える神として、全国に広がりました。
摩利支天は、甲冑姿で猪に跨り、弓矢を持つのに対し、勝軍地蔵は、甲冑姿馬に跨り、錫杖と宝珠を持つ姿が特徴です。

 

本寺に伝わる勝軍地蔵は、一面二臂で甲冑を付け、弓矢も剣の類も持たず、猪を自在に操るため、両手で手綱を取る非常に珍しい姿をしています。
台座の右には、江戸時代享十四年造立を示す年号と、上浅羽の村名が刻まれ、左側には発願者である長久寺住職と協力者である村二十三人の名前が記されています。

 

当時、畑の作物をされて困った村人たちが、イノシシ退治を祈り、その信仰の表れとして、勝軍地蔵を造立したものと考えられ、村人の切実な願いを感じることができます。 また、近隣では、鶴ヶ島市上新田の薬師堂境内に猪の背に乗った石像が残されて おり、下新田や高倉などにも、「愛宕大権現」と称する地蔵石像が伝わっています。

 

坂戸市教育委員会から引用して紹介しました。

 

勝軍地蔵(長久寺)

勝軍地蔵



このことから長久寺の勝軍地蔵は、猪の被害に悩む村人の願いによって、「摩利支天」と「勝軍地蔵」 が習合した非常に稀有なお地蔵さんだということができそうです。

 

六地蔵

六地蔵尊

 

長久寺へのアクセス

埼玉県坂戸市浅羽1486

 

 

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