お地蔵さんブログ

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生身地蔵尊(岩船山 高勝寺)

岩船山山頂に建てられた高勝寺は日本三大地蔵の名刹として知られており、地蔵尊を本尊とする天台宗の末寺です。
地蔵信仰が盛んであった、いわば地蔵信者にとって聖地ともいえる場所。
この度遂にその地を訪れることができました。

 

【目次】

高勝寺の基本情報

高勝寺は天台宗のお寺で、山号は岩船山。
宝亀2年(771年)弘誓坊明願により開山。
本尊は地蔵尊(生身の地蔵尊
本尊は秘仏であり、年に1度秋彼岸の時公開されます。

 

寺号標

 

こちらからお寺を目指します。

 

階段

山頂へ

 

標高173m、600段の階段を登った山頂に建てられたお寺なので、ひたすら階段を上っていきます。

 

仁王門

仁王門

 

寬保2年(1742年)建立。
昭和62年(1987年、栃木県文化財に指定。

 

三重の塔

三重の塔

 

寬延4年(1751年)建立。
昭和48年(1973年)栃木県文化財に指定。
初重・二重は本繁垂木、三重は扇垂木、高さは19メートル。

 

鐘楼堂

鐘楼堂

 

18世紀頃建立。
平成8年(1996年)建物が栃木県文化財に指定。

 

本堂

本堂

 

かつての本堂は大正15年の火災で焼失。
現在の本堂は昭和2年(1927年)に再建されたものです。

 

血の池

血の池

 

奥の院

奥の院

 

弘誓坊明願が満願の日、岩に立った草庵の主が金色燦然たる地蔵尊の姿になった縁の地。
子授け祈願が満願となった方が生まれたお子さんを連れてお礼参りをする場所でもあるとのこと。
余談ですが筆者は高勝寺を訪れた年に娘を授かったので、ぜひお礼参りに再訪したいと思いました。

 

展望

 

山の上にあるお寺なので、晴れた日は見晴らしが素晴らしいです。

 

岩船山の由来

岩船山の由来

 

宝亀元年(770年)伯耆国大山に弘誓坊明願という名僧が住んでいた。
日頃、生きている地蔵菩薩を拝みたいと願っていたが、ある日、夢の中に尊いお仏様の声を聞いた。
下野国岩船山に登るべし、必ず生身の地蔵尊を拝すべし。」
明願は、限りなき法悦に浸りながら、下野の国への旅に出た。

長旅の後、ようやく岩船に着いたが、すでに日も西におち、戸毎一夜の宿を求めて歩いていたが、見知らぬ僧を泊めてくれる家はなかった。
途方に暮れた明願であったが、最後に山腹の草庵をみつけ、さいわい止宿が許された。
庵主は伊賀坊といい、月々の十八日、二十四日に山に登れば、生身の地蔵尊を拝むことが出来ると教えてくれた。
その話を聞いた明願の喜びは限りないものであった。

そんなある夜、村人が来て「伊賀坊おわすや、明日田を耕すから牛の鼻縄をとってくれ給え。」
また村人が来て「明日の屋根吹き替えに手を貸し給え。」
また別の村人が来たりて「明日の井戸掘りに手を貸し給え。」という願い一つ一つを快く承知した。

明願は不審に思い夜が明けて、伊賀坊が出かけた後村を廻った。
昨日約束をしたどの家にもいて、どの家でも懸命に働いていた。
やがて夜になりあれほど働き続けた伊賀坊であったが、明日は生身の地蔵尊を拝まんと云う。

次の朝、二人は未だ夜も明けきらぬ山路をよじ登った。山頂に立った時、折からの旭が美しく頂きの岩を染め、小鳥の声もさわやかに響いた。
明願は恭しく岩上に端座し、一心に願った。
やがて眼前の船形の大岩の上に金色漠然たる光を放った地蔵尊が現れた。
念願叶い明願はしばらく拝むことができた。

二人は連れだって草庵に帰り、所願成就した明願は帰国した。

翌年、再び岩船を訪れた明願は、さっそく草庵を訪ねたが草庵の跡もなく、村人も草庵のあったことや伊賀坊がいたことも知らない。
ただ山腹に地蔵尊があるのみである。
不思議なこともあるものと地蔵尊をのぞき込んだ明願は、その時、その顔が伊賀坊そっくりであることに気づき、はじめて伊賀坊こそが地蔵尊であった事を悟った。

明願はその地蔵尊を本尊として堂を建て、この地に留まって象生済度につくされた。
地蔵出現の地こそ奥の院船形の岩である。

 

引用:岩船山公式サイト

 

高勝寺で出会ったお地蔵さん

生身の地蔵尊

高勝寺のご本尊は、生身の地蔵尊
子授け、子育て、安産の地蔵尊でもあります。
秘仏となっていますが、彼岸供養の時にご開帳されます。

 

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

六地蔵

六地蔵尊

 

水子地蔵尊

水子地蔵尊

 

霊場

霊場

 

先祖の霊を弔うため、搭婆が本堂脇の霊場に供えられています。

 

西院の河原堂

西院の河原堂

賽の河原

 

西院の河原堂とは、俗に賽の河原のことで、賽の河原で地蔵が子供を救うことから、西院信仰もまた普及しました。
特に「一重積んでは父を呼び、二重積んでは母恋し・・」という地蔵和讃がこの西院信仰をさらに広めました。

 

お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

地蔵菩薩像

地蔵菩薩像

お地蔵さん

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お地蔵さん

お地蔵さん

お地蔵さん

地蔵菩薩像

お地蔵さん

お地蔵さん

 

地蔵信仰

全国的に詠われる「帰命頂礼岩船の…」に始まる岩船地蔵和讃の舞台は岩船山です。
徳川三代将軍家光の側室、お楽の方は岩船地蔵を信仰していました。 
江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈ました。
その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱といわれています

 

引用:岩船山公式サイト

 

御朱印

御朱印

 

高勝寺へのアクセス

栃木県下都賀郡岩舟町静3
JR「岩船駅」から徒歩15分

 

 

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