勝軍地蔵とは
愛宕権現(あたごごんげん)の本地仏とされ、武将たちの守護仏として祀られたお地蔵さんのことです。
お地蔵さんのことを調べていくうちに一風変わった地蔵があることに気づかされます。
一般的には赤いよだれかけや頭巾をかぶって、お寺や道端に立っているお地蔵さんをイメージすることと思います。
甲冑姿で戦闘に馳せ参じる勇ましい姿のお地蔵さんがいることを知っていますか?
青蓮寺の勝軍地蔵
こちらは板橋区「青蓮寺」で見つけた勝軍地蔵です
このお地蔵さんは勝軍地蔵といって愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合である愛宕権現の仏とされています。
平安時代末期から鎌倉室町時代にかけて地蔵信仰を広めていったのはまさに修験道の人々でした。
愛宕山は東北から九州までその名前を冠する山は全国各地に存在し、その本山は京都の愛宕山であり、そこにある白雲寺は勝軍地蔵を本尊として祀っています。
この地蔵に祈れば戦に勝つとされ、鎌倉時代以降武家の間で信仰されました。
やがて徳川幕府の平和な時代になると、火の神として信仰を集めるようになりその性格が変わってきます。
廃仏毀釈によって白雲寺は廃され、愛宕神社に改組されました、なお祀られていた勝軍地蔵は金蔵寺に移されました。
勝軍地蔵で有名なのは京都の清水寺に伝わる話です。
坂上田村麿が奥州征伐に行く際に親友であった清水寺の延鎮法師のもとに戦勝の祈願を頼みました。
法師は勝軍地蔵と毘沙門を本尊として一心に祈願しました。
するとこの二尊が戦地に現れて、苦戦を強いられていた田村麿に弓矢を与え、敗色濃厚だった戦を勝利に導きました。
勝利を収めた田村麿が清水寺の法師のもとにお礼に訪れると、勝軍地蔵と毘沙門の足の裏に戦場に行った際についたと思われる泥がついていたそうです。
愛宕神社が廃仏毀釈で一掃されてから、目に触れる機会が少なくなった勝軍地蔵ですが、現在でも様々な寺社仏閣などでその姿を拝むことができます。
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