東福寺塔頭である退耕庵には、小野小町ゆかりの恋文を胎内に納めて作った玉章(たまずさ)地蔵があります。
残念ながら写真撮影不可であった為、紹介できる内容に制限があることを予めご容赦ください。
【目次】
退耕庵の基本情報
1346年(貞和2)性海霊見(しょうかいれいけん)が東福寺塔頭として創建。
応仁の乱で荒廃するも、慶長年間(1596-1615)に安国寺恵瓊(えけい)が再興。
石田三成と宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行った茶室(昨夢軒)が境内にあります。
鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺にもなっています。
玉章(たまずさ)地蔵
玉章地蔵は、小野小町宛ての恋文が胎内に納められていると言われているお地蔵さんです。
小野小町が無数の色餓鬼を済度(救済)する為、老後に作った地蔵菩薩像で「文張(ふみはり)地蔵」とも呼ばれています。
京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺が廃寺になったことに伴って明治7年(1874年)に当地に移されました。
写真撮影はできませんでしたが、拝観すればその姿を見ることができます。
僕も実際にその姿を拝見しました。
玉章地蔵は、地蔵堂の中で右手に錫杖、左手に宝珠を捧げ、石造の蓮台上に座っていました。
石地蔵のイメージとはかなりかけ離れたものでしたが、蓮台を含めると実に高さ3メートルとなる、彩色が施された実に立派なお地蔵さんでした。
よく見ると像の表面には文章がびっしりと貼り付けられ、背面には胎内に恋文を納めた際に空けられたと思われる空洞もあるそうです。
退耕庵で見つけたその他のお地蔵さん
退耕庵は小野小町ゆかりのお寺で、玉章地蔵のほかにも小野小町100歳像という、禿げあがり骨と皮だけになった哀れな小町像が安置されています。
世界三大美女といわれた小野小町でしたが、世の無常を悟ってこのような像を造ったとされています。
退耕庵へのアクセス
東山区本町15丁目793
京阪電車「東福寺駅」下車、徒歩約5分
市バス「東福寺」下車、徒歩約2分
JR「東福寺駅」下車、徒歩約5分