聖徳太子建立の寺として著名な四天王寺では、実に多様なお地蔵さんを見ることができました。
お寺の情報と共に紹介していきたいと思います。
四天王寺の基本情報
四天王寺は和宗の総本山のお寺で、山号は荒陵山(あらはかさん)。
推古天皇元年(593)に聖徳太子によって建立されました。
本尊は救世観音。
- 新西国三十三箇所第1番
- 西国三十三所番外霊場
- 西国薬師四十九霊場第16番
- 近畿三十六不動尊霊場第1番
- 摂津国八十八箇所第25番
- 摂津国三十三ヶ所第33番
- おおさか十三仏霊場第4番
- 河内飛鳥古寺霊場第1番
- 大坂三十三所観音めぐり第20番 - 24番
- 聖徳太子霊跡第1番
- 法然上人二十五霊場第6番
- 神仏霊場巡拝の道第43番
などにもなっています。
地蔵山
明治40年代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まり。
約150体の実に多種多様なお地蔵さんがいらっしゃいました。
毎月24日午前十時半より「地蔵尊供」の法要が行われています。
全て網羅することはできてませんが、紹介していきたいと思います。
禁酒地蔵尊
厄除地蔵尊
平和六地蔵尊
この配置で並んでいる六地蔵尊は珍しいです。
圓満地蔵尊
延命地蔵尊
縁結地蔵尊
水子地蔵尊
羅漢地蔵尊
咳の地蔵尊
小さなお地蔵さんがたくさん並んでいました
長寿地蔵尊
日限地蔵尊
子授地蔵尊
寶地蔵尊
延命・子安地蔵尊
養老・幸福・夢見地蔵尊
千成地蔵尊
水呑地蔵尊
安産地蔵尊
天満地蔵尊
夜泣地蔵尊
智恵地蔵尊
立江地蔵尊
地蔵山本尊の「立江地蔵尊」古来眼病に霊験ありとあつく信仰されています。
融通地蔵尊
その他地蔵山のお地蔵さん
逢坂清水の井戸
この井戸は逢坂の清水の井戸と呼ばれ、もと一心寺の門前西、逢坂の途中にあったが、明治末にたび重なった道路拡張で取り払われ、融通地蔵と一緒に四天王寺境内の地蔵山に移されました。
『摂津名所図会』に、「小坂清水ともいふ。清冽にして四時増減なし。茶に可なり」との記述があり、酷暑でも水枯れせず、茶の湯にも適した名水だったことがわかります。
現在は枯れているが、天王寺七名水の一つである。(境内の掲示板より)
四天王寺の建築物
大黒堂
本尊は一体の像に大黒天、毘沙門天、弁才天の顔を持つ三面大黒天。
子孫繁栄・福徳智慧・商売繁盛などにご利益があるとのことです。
六時礼讃堂
昼夜6回にわたって諸礼讃をするところからこの名が付けられています。
薬師如来・四天王等が祀られています。
黄鐘楼(おうしょうろう)
北鐘堂・北の引導鐘・鐘つき堂とも呼ばれています。
なお鐘は天井裏にあり、見ることができません。
阿弥陀堂
現在の本堂は、昭和28年に四天王寺末寺の三重県国束寺(くずかじ)の本堂を移築したものです。
五重塔
六道利救の塔ともいいます。
これは聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたことに由来しています。
中門
仁王門とも呼ばれています。
伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)が祀ってあります。
布袋堂
乳のおんばさんのお堂とも呼ばれています。
子供の健康祈願や乳が良く出ることにご利益があるとされています。
なぜ布袋と乳の出が結びついた?
聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりであったことが関係あるのでは?とされていますが実際のところは良く分かっていないそうです。
石鳥居
扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である』の意です。
現在の石造となったのは1294年のことで、もともとは木造でした。
以上
お地蔵さん中心に紹介しましたので、お寺の魅力を十分に伝えきれていませんが、四天王寺を記事にしてみました。
一つのお寺の境内でこれほどの種類のお地蔵さんを見つけたのは、広島県宮島の大聖院以来のことです。
なお明文の一部は、四天王寺の公式サイトより参考(一部引用)させていただきました。