お地蔵さんブログ

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出世子育地蔵菩薩、身洗い地蔵尊(豊島区千早)

地蔵大菩薩御堂

 

豊島区千早にある出世子育大菩薩御堂には、出世子育地蔵菩薩と身洗い地蔵尊が鎮座していました。
どのような経緯で建てられた御堂なのかを、由来碑の解説から引用して紹介しましょう。

 

【見出し】

 

身洗い地蔵尊

身洗い地蔵建立記念碑

身洗い地蔵尊

 出世子育地蔵菩薩

出世子育て地蔵尊の御堂

 

出世子育地蔵菩薩はこちらの地蔵堂の中に安置されています。

出世子育地蔵菩薩御帰還記念と旧地名地蔵堂の由来碑

出世子育地蔵菩薩御帰還記念と旧地名地蔵堂の由来碑

 

この土地は今を去る500年ほど前、戦国末期の頃、関八州を併合した時の執権北条氏の重臣、長崎次郎高董(?)の領地でした。         
その頃幾度かの戦禍で親を亡くした孤児たちの面倒を見ながら、村の子供たちも集めて読書と?の教えを説いて下された奇特なお坊様(尼さんという説もある)がおられました。
そしてそのお坊さまが自らお地蔵さんのお姿を刻んで、朝な夕な読経の傍ら子供たちの健やかな育成を御祈願した祠を寺子屋を兼ねたお堂(昔の所在地は現千早町1-44、当地の辻角)に改築し、地蔵坊または地蔵堂と名付けられこの地名の起こりとなりました。
その頃(西暦1359年~1485年)の武人と佛門の方々の板碑が数多く現在も保存されております。
故に明治初期の頃までこの地を武蔵国武州北豊島郡長崎村元長崎大字地蔵堂と称しました。
前述の通り昔からこの地には、現存のお地蔵さまと右の地蔵坊にお祀りしてございました地蔵菩薩と子育地蔵菩薩御二体の御仏像は、現在まで椎名町駅前金剛院にお祀りしてございましたが、この度このご一体の子育地蔵菩薩の御仏像が百年ぶりに当地にご帰還され、この御堂に合祀申されることとなりました。
ここに謹んでご開帳申し上げ、世の人々の平和と次の時代を背負う子供たちの徳育に御仏のご慈悲を賜りますよう心から御祈願申し上げるものであります。

 

石碑から引用させていただきましたが、文字が読み取りづらい箇所があり、誤字脱字など多々あることを予めご容赦ください。
元々は金剛院に祀られていたお地蔵さんだったみたいですね。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

馬頭観音

馬頭観音

地蔵堂商興会

 

御堂のある通りには地蔵堂商興会と書かれた街灯も

 

出世子育地蔵菩薩、身洗い地蔵尊へのアクセス


東京都豊島区千早1-23-3