お地蔵さんブログ

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除病地蔵尊(谷中不動尊)、初音六地蔵(観智院)

まだまだ紹介しきれない谷中エリアのお地蔵さん
今回は谷中不動尊で知られる総持院で見つけた「除病地蔵尊」そして観智院の「初音六地蔵」を紹介します

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【目次】

 

最初に谷中不動尊で知られる総持院を紹介しましょう

 

山門

谷中不動尊 山門

本堂

谷中不動尊 本堂

総持院の基本情報

総持院は天台宗のお寺で、山号は広隆山、寺号は元導寺。
本尊は阿弥陀如来。芝崎町の東光院が本寺。
高村光雲が宅地内に住んでいたことや、谷中不動尊があることでも知られています。

谷中不動尊

天正18年(1590)徳川家康江戸入府のとき、旗本大久保七郎右衛門忠世(彦左衛門長兄)も大山不動尊と同木同作と言われている守護神の不動尊を奉持して、神田寺町に安置したのが始まりとされています。

谷中不動尊

総持院の歴史

栄松法印が慶長16年(1611)神田寺町に創建
当地に移転したのは慶安元年(1648)のことになります。

 

なお当時、町名は総持院門前町と称していましたが、明治2年に総持院町と改め、12年4月に谷中町となりました。
谷中町及び近辺の信者で講中を作り、大山詣りも盛んに行われ、毎月28日の縁日には屋台も出て賑わったとのことです。

 

家康の長子信康(1579自刃)と、その母築山(今川義元の養女。1579賜死)の母子共に生害されたのを忠隣の孫忠朝深く憐み、元禄11年(1698)120回の御忌辰には、御位牌を当院に安置されてご冥福を祈念されました。

 

幸運にも関東大震災、戦災共に難を逃れています

 

昭和9年都市計画による道路新設のため、境内地を斜めに70坪(231平方メートル)が削減
昭和34年8月不動堂並びに庫裡の一部を改築し、他は補修を加えて現在に至る。

総持院のお地蔵さん

除病地蔵尊

その名の通り、病を取り除いてくれるのでしょうか?

除病地蔵尊

関連サイト

谷中不動尊 総持院 - ホーム | Facebook

総持院へのアクセス

東京都台東区谷中6-2-33


JR日暮里駅より徒歩7分

 

続いては観智院、こちらにも谷中火除不動尊という不動尊がいらっしゃいます

観智院 山門

現在の本堂は福島県佐竹侯の祈願所だったのを移築し、のちに階下を増築し二階建てとしたものです。(当時の本堂は東京大空襲の際に焼失してしまいました)

観智院 本堂

観智院の基本情報

観智院は真言宗豊山派のお寺で、山号は初音山、寺号は東漸寺。
本尊は大日如来、台東初音幼稚園が併設されています
御府内八十八ヶ所霊場63番札所となっています

観智院の歴史

観智院は、照誉法印が慶長16年(1611)神田北寺町に開山
その当時は、醫王山東漸寺圓照院と呼ばれていました

 

慶安元年(1648)觀智院(圓照院)は谷中清水坂に移転
当地に移転したのは万治年中(1658?60)のこととなります

 

元禄11年(1698)院号を現在の觀智院と改めました。

谷中の火除不動

安永8年(1779)、不動堂が建立され、興教大師(覚鑁)の作と伝えられる不動尊像が安置されました。


不動明王は火を観想して動ぜず、あらゆる障害を焼きつくす大智の火を身から発する・・・・・・といわれ、大日如来の使者となって、悪を断じ、善を修して真言行者を守る役割になっています。


文化文政(1804?29)の頃になると、江戸幕府はもちろん近隣からも参詣人が訪れ、門前には市がたつほどの賑わいになったと伝えられています。

谷中の火除不動

観智院のお地蔵さん

初音六地蔵

初音六地蔵

延命地蔵尊と子育て地蔵尊

延命地蔵尊と子育て地蔵尊

山門左手にもお地蔵さんを見つけることができました
画像左の延命地蔵尊は、かつて不動堂に住していた行者が、不動尊の霊告によって境内から掘り出したものです


その隣に立っている子供たちのすこやかな成長を誓願とする子育地蔵は、昭和58年秋の像立です

関連サイト

kanchiin.com

観智院へのアクセス

東京都台東区谷中5-2-4
JR日暮里駅より徒歩8分