お地蔵さんブログ

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胸突地蔵尊(子易神社)

地蔵堂

 

神仏習合の期間が長かった影響もあるのでしょう。
神社にお地蔵さんが安置されているケースもたまにあります。
今回紹介する子易神社の胸突地蔵尊もまた神社の境内にあるお地蔵さんです。
変わった名前ですが、どのような由来があるのでしょうか?
神社の基本情報と共に紹介していきましょう。

子易神社の基本情報

子易神社

 

御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
創建年代は不詳ですが、延宝2年(1674)の検地帳に境内地が記されており、それ以前から当地で祀られていました。
古くは武州豊島郡金井窪村の鎮守であり、もと富士浅間神社の御分霊を遷祀したものと伝えられています。

 

江戸時代には別当の福正寺(福生寺とも称す、明治初年に廃寺)が当社を管理し、古来より安産・子育ての神様として広く信仰を集め、江戸時代より安産の御守札を頒布してきました。
境内に祀られている子安観音座像は、もとは福正寺の持仏と伝えられ、福正寺が廃寺となった際、当社に遷座されました。
像は蓮華座の上に結跏趺坐し、膝の上に朱色に彩色された子供を抱いています。
像は入母屋造りの厨子に安置されており、厨子の屋根裏の墨書銘から、明和2年(1765)霜月16日に氏子が願主となり開眼供養が行われたことが分かります。

 

子易神社には祭礼に関する古文書が伝わっており、祭礼の運営が金井窪村の年番と若者衆により執行されていた点や、神楽師を招き十八座神楽を奉納していた様子が分かります。
また、祭礼寄進帳からは金井窪村をはじめ、遠く麹町や神田からも寄進・奉納を受けていたことが確認でき、当社の信仰範囲の広さを窺わせます。
子安観音座像及び子易神社文章は共に区の文化財に登録され、子易神社の歴史を伝えています。

平成23年3月
板橋区教育委員会

 以上境内の案内板より引用しました。

胸突地蔵尊

御堂に安置されている胸突地蔵尊
身代わり地蔵尊と呼ばれることもあるそうです。

 

地蔵堂

胸突地蔵尊の御堂

胸突地蔵尊

 

扉は閉ざされ、わずかに横顔が見えるくらいでした。
祭日である7月24日には開帳されるのでしょうか?

 

なぜ胸突地蔵尊と呼ばれているのか?
それはこのような由来があったからと言われています。

 

寛保年間(1741~1744)の頃、王子村の長者が夜、子易の森を通った時に、盗人が現れて長者を襲い胸を突いた。
長者は倒れてしまったが、起き上がると何の傷も負っていないことに気づいた。
ふと脇を見ると地蔵が建っており、胸に傷があるのを見つけて、地蔵が身代わりになってくれたことを有難く思ったという。
それ以降人々は胸突地蔵尊と呼んで信仰を深くしたらしい。
現在も右胸には親指大の傷がついているとのことです。

胸突地蔵尊へのアクセス

東京都板橋区板橋2-19-20


東武東上線下板橋駅」「大山駅」 徒歩5分
都営三田線板橋区役所前駅」 徒歩5分