真田幸村ゆかりの寺院である心眼寺には「まんなおし地蔵尊」というお地蔵さんを見つけました。
お寺の情報と共に紹介していきたいと思います。
【目次】
心眼寺の基本情報
心眼寺は浄土宗のお寺で、山号は真田山。
安土桃山時代後期の文禄年間(1593~1596年)に白牟(はくむ)和尚によって創建。
冬の陣のあと取り壊されましたが、1622年大阪冬の陣の陣地跡(真田丸)に、真田幸村とその子大助の供養の為に再建されました。
当時幕府から許されなかった幸村の墓は、真田幸村400回忌の2014(平成26)年に境内に建てられました。
またお寺の定紋は真田家の六文銭(死者が三途の川を渡るときの用意にと、 お棺に納 める六道銭から転化したもので、 戦いにのぞむ武士の必死の覚悟を 表しています。)と定められています。
本尊は阿弥陀仏座像。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第11番札所にもなっています。
本堂
こちらのお寺の付近は、名将真田幸村が、慶長19年(1614)冬の陣に豊臣側にとって手薄な上町台地の大阪城南東二の丸南に、真田丸と呼ばれる砦を造り、松平忠置・井伊直孝・前田 利常らを迎え撃った陣地であり、境内地に幸村鎧掛の松の木もありましたが、戦災で焼失致しました。 後にこの付近は真田山と呼ばれる様 になりました。
まんなおし地蔵尊
まんなおし地蔵は創建年代不明ですが、真田幸村がまん悪きとき、開運の祈願をかけると願いが叶ったと伝えられ、庶民の信仰篤く日夜参詣が絶えなかったようです。
特に江戸時代は商売の方や、花柳界の信仰が篤いようでした。
まんなおしのまん「間」の転音で 「なんてまがよいのでしょう」などという運、めぐ り合わせの意味で、まんなおしは不運を幸運に変えることで、運直し・縁起直しげん直しの意味です。
戦前は地蔵参りの帰りに、真田軍葉なるものがありよく売れていたようです。
これは 真田幸村が傷薬として、愛用していたものと言われ黄色い粉末で、袋に六文銭のマー クが付いていたもので、よく傷に効いたそうです。
なにをおしてもうまくいかない時、 商売 受験・就職 結婚 対人関係などまんの 悪い時、うまくまんよく行きますようにと、まんなおし地蔵さんに願いをかけお詣りしましょう。
心眼寺で見つけたその他のお地蔵さん
心眼寺へのアクセス
大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
JR大阪環状線「玉造駅」より徒歩8分
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