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ありがとう地蔵尊・身代わり地蔵尊(桶川市)

桶川 身代わり地蔵尊

この記事では先日、桶川に女郎買い地蔵を見に行った際、周辺で見つけたお地蔵さんを紹介していこうと思います。


【目次】

ありがとう地蔵尊

桶川 ありがとう地蔵尊

 

女郎買い地蔵のある大雲寺から駅に向かって、歩いていた時に見つけたありがとう地蔵尊
まるかのう本店の横で道行く人を見守るように立っています。

身代わり地蔵尊

桶川 身代わり地蔵尊

 

以下
身代わり地蔵尊の由来より抜粋します。

 

一心孝童子 森一男と云う少年がおりました。
健康で大変頭が良く、それにとても性根のやさしい少年でもありましたが、小学5年の春(昭和12年4月18日)
現在の蔵田医院院長に祭られてあった浅間神社の大沼にオタマジャクシをすくいに行き、あやまって足をすべらせ、幼くして他界してしまいました。
その不慮の死を悼み、その霊を慰めようと市内の小学生及び父兄達から、又主婦の友社の協賛で全国から壱銭ずつ合わせて壱千円の浄財が寄せられました。
昭和13年にこのお金を基金として子供たちが元気に育っていくのを見守れるように南小学校に向かってこの身代わり地蔵尊を建立いたしました。
昨今の少年少女の非行、自殺問題そしてますます高齢化していく社会環境を考えると大勢の方々の心の支えと励ましになりますようにこの「お守り」をつくらせていただきました。

昭和61年7月18日
願主 森昭二

 

森昭二さんとは、亡くなった一男ちゃんの父親でしょうか?
手を合わせて冥福を祈りました。

身代わり地蔵尊へのアクセス

埼玉県桶川市寿1-15-4

女郎買い地蔵(大雲寺)

桶川 大雲寺 地蔵

埼玉県桶川市の大雲寺には、女郎買い地蔵というお地蔵さんがいます。
名前を聞く限りだと、お地蔵さんにも俗っぽい一面があるのかな?と思わずにやけてしまいます。
どうしてこのような名前が付けられたのでしょうか?
お寺の基本情報と共に紹介していきたいと思います。


【目次】

大雲寺の基本情報

大雲寺は曹洞宗のお寺で、山号龍谷山
弘治3年(1557年)に開山、本尊は馬頭観世音菩薩
足立坂東三十三箇所霊場の第2番札所にもなっています。

寺号標

桶川 大雲寺 寺号標

山門

桶川 大雲寺 山門

通常山門からは入れなくなっているみたいです。

本堂

桶川 大雲寺 本堂

鐘楼

桶川 大雲寺 鐘楼

桶川 大雲寺 庭園

庭園がきれいに管理されています。

桶川 大雲寺 休憩スペース

座って休めるスペースも。

かえるとドラえもんの石像

ドラえもんピカチュウの石像も。

女郎買い地蔵

桶川 大雲寺 3体の地蔵

境内に3体並んだ右端のお地蔵さんが女郎買い地蔵です。
その名前に謂れについてはこのような逸話があります。

 

賑わいのある宿場なら多くがそうであるが、ここ桶川の宿にも飯盛女(めしもりおんな)が大勢いて、女色に溺れる男たちを飯盛旅籠に引き入れていた。
そのような町で、土地のお地蔵さまが女を買いに出掛けているらしいとの噂が立った。
それを耳にした寺の住職は困り果てたが一計を案じ、件(くだん)の地蔵の背に鎹(かすがい)を打ち付け、鎖で縛って動けなくしてしまったとのことである。
さても不思議な話ではあるが、実のところは、一人の飯盛女に熱を上げ、通い詰めた若い僧にまつわる小さな事件の顛末(てんまつ)であったらしい。
坊主頭を布で隠して人目を忍ぶ様子のこの若者を怪しんでいたある人が、その後をつけてみたところ、最後に大雲寺の中へ帰っていったというのである。
このことを知らされた住職は、必ず見つけ出して仕置きすると約束をした。
すると、次の日になって、鎹と鎖で動きを封じられたお地蔵さまが立っていたのである。
住職は煩悩多き若い僧に、その罪を地蔵菩薩に被っていただくゆえ、以後は心を入れ替えて精進するよう諭し、一件を落着させたのに違いない。
地蔵の背には、今も鎹が残っている。

 

何と!ことの顛末はお地蔵さんが若い僧の罪をかばったことでした。
確かに女郎買い地蔵の背後には、鎹が今でも残っています。

桶川 大雲寺 女郎買い地蔵

大雲寺のその他のお地蔵さん

子育て地蔵尊

桶川 大雲寺 子育て地蔵尊

桶川 大雲寺 お地蔵さま

桶川 大雲寺 石仏群

大雲寺へのアクセス

桶川市西1-10-24
JR桶川駅より徒歩9分