油面子育地蔵尊(高地蔵)とは
この地蔵尊は、「高地蔵」と呼ばれ油面の人々に親しまれています。
もと、目黒通り(昔の二子道)の油面交番近くの小高い角地に立っていましたが、昭和9年に道路拡張のため現在地に移転されました。
土手の上に総高2米以上もある高い地蔵が祀られていたので「高地蔵」の名が生まれました。
享保の頃、江戸は連年の飢饉や大火で生活困窮のため多くの死者を出しましたが、その人たちの冥福を祈り救済を願って享保18年7月(1733)に祐天寺に於いて供養が営まれ、六十六部供養塔と共に祀られました。
また、この地蔵の左側に「南無阿弥陀仏、祐天寺、祐東、文政元年」と刻まれた名号碑が建っています。
今も育児の厄除けに霊験あらたかな子育て地蔵尊として信仰され供養を続けて、毎月3の日に縁日が開かれています。
引用:目黒区教育委員会
名号碑
油面(あぶらめん)は、東京都目黒区の旧地名で、その地名は江戸時代中期からこの辺りでは菜種が栽培され、菜種から作った油を増上寺や祐天寺に燈明用として納めていたことに由来します。
目黒通り油面交差点から北西に延びる道は油面地蔵通りと呼ばれ、道筋には油面地蔵通り商店街があります。
油面子育地蔵尊(高地蔵)へのアクセス
東京都目黒区目黒4-24-8
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