お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

やすらぎ地蔵尊(良観寺)

柴又 良観寺 やすらぎ地蔵尊

葛飾区柴又にある良観寺ではやすらぎ地蔵尊など、たくさんのお地蔵さんを見つけることができました。
近くにある帝釈天の方がが圧倒的な知名度がありますが、良観寺もなかなか見どころのあるお寺でした。


【目次】

良観寺の基本情報

良観寺は真言宗豊山派のお寺で、山号は弘誓山、院号は観音院。
室町時代末期から江戸時代初期にかけての間に念仏堂として建立されました。


本尊は聖観世音菩薩。江戸時代には尻手の観音として知られていました。
南葛八十八ヶ所霊場の52番、新四国四箇領八十八ヵ所霊場29番、江戸川七福神布袋尊にもなっています。

山門

柴又 良観寺 山門

本堂

柴又 良観寺 本堂

良観寺のお地蔵さん

やすらぎ地蔵尊

柴又 良観寺 やすらぎ地蔵尊

子育て地蔵尊

柴又 良観寺 子育て地蔵尊

六地蔵

柴又 良観寺 六地蔵

その他境内で見つけたお地蔵さん

柴又 良観寺のお地蔵さん

柴又 良観寺の地蔵菩薩像

良観寺の著名な建造物

  • 宝袋尊(柴又七福神のひとつ)
    お腹に両手を当ててお願いすると、ご利益があるとされています。

江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。

尊像を店に持ち帰ったところ、商いは大いに繁盛した。
この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、 宝袋尊と称して良観寺に奉納した。といわれています。

良観寺へのアクセス

東京都葛飾区柴又3-33−13

京成線柴又駅より徒歩6分

経読地蔵(来福寺)

品川 来福寺 寺号標

お寺の本堂に安置され、最も大切な信仰の対象とされている仏像のことを本尊といいます。
本尊がお地蔵さんというお寺も少なからず存在します。
品川区にある来福寺は、通称経読(きょうよみ)地蔵というお地蔵さんが本尊となっています。
一体どうしてこのような名前が付けられているのでしょうか?


【目次】

来福寺の基本情報

来福寺は真言宗智山派のお寺で、山号は海賞山、院号は地蔵院。
正暦元年(990)に智弁阿闍梨により創建されました。
御府内八十八ヶ所霊場26番札所、玉川八十八ヶ所霊場74番札所、東海三十三観音霊場2番札所ともなっています。

山門

品川 来福寺 山門

本堂

品川 来福寺 本堂

聖天堂

品川 来福寺 鳥居

御水盤

品川 来福寺 御水盤

経読地蔵

本尊の延命地蔵(経読地蔵)は、本堂に安置されています。
なぜ経読(きょうよみ)地蔵と呼ばれているのかといえば、このような言い伝えがあるからです。

品川 来福寺 地蔵堂

経塚と呼ばれるようになってから数百年がたった室町時代、文亀元年(1501)のできごとです。
このあたりを梅巌というお坊さんが通りかかると、近くからお経を読む声が聞こえてきました。
「はて、人かげも見えないのに、いったいどうしたことだろう?」。
梅巌が声のするほうへ近づいてみると、聞こえてくるのは経塚の土の中からでした。
どろいた梅巌はていねいに土をほりおこしていきました。
すると、一体の仏像があらわれ、お経も聞こえなくなりました。
土をはらって手にとってみたところ、それはたいへんりっぱなお地蔵様でした。
「世の中にはこのように不思議なこともあるものだ。みごとな仏像がどうして土の中にうめられていたのだろう……?」。
この像についてもっと知りたくなった梅巌は、いろいろと調べてみることにしました。
そして、これは長い間、ゆくえがわからなくなっていた来福寺のご本尊「延命地蔵」だということがわかりました。
弘法大師が作ったとも伝えられている大切なご本尊が見つかったと、来福寺のお坊さんもとてもよろこび、梅巌に何度も「ありがとうございます」と言って、再び寺に置くことにしました。
このことがあってからは、この像を「経読地蔵」とも呼ぶようになったということです。

 

引用:広報しながわ 2008年8月1日号

品川 来福寺 本堂

経読地蔵は秘仏となっていますので、残念ながらその姿を拝むことはできませんでした。

来福寺の著名な建造物

  • 林浄因(日本に饅頭の製造法をもたらした人)の碑
  • 阿波商人の墓(阿波の藍商人の墓を合葬したもの)
  • 安部晋三奉納の桜

弘法大師

品川 来福寺 弘法大師像

観音菩薩

品川 来福寺 観音様

来福寺で見つけたその他のお地蔵様

品川 来福寺 地蔵菩薩像

品川 来福寺 お地蔵さん

品川 来福寺 御朱印

御朱印も頂きました

来福寺へのアクセス

東京都品川区東大井3-13-1
京急線 鮫洲駅立会川駅より徒歩10分

ともちゃん地蔵(六本木)

お地蔵さん

 

六本木ヒルズ近くの小さなビルに小さなお地蔵さんを見つけました。
ともちゃん地蔵と名付けられたこのお地蔵さんは、どんな目的で作られたのでしょうか?

ともちゃん地蔵とは

ともちゃん地蔵

ともちゃん地蔵は、戦争の悲惨さを後世に語り継ぐことを目的に作られたものです。
ともちゃん地蔵の碑には、このように書かれています。

ともちゃん地蔵の碑

「お母さんに会いたいときはおへそを見なさい。きっとお母さんに会えるでしょう。」
ともちゃんのお母さんは収容所の死の床でそう言いました。
お母さんのお墓の前で毎日ともちゃんはおへそを眺めました。
そんなともちゃんも厳しい冬が来ると、身体をくの字に曲げておへそを見ながら死んでいきました。
遠い昔、中国の北の街にそんな子供たちがいたことを忘れないでください。
二度とこんな悲しみを子供たちに負わせないでください。

語りつごう ともちゃんの会
代表 千野誠治

 

このお地蔵さんの元となったお話は、神奈川県小田原市の元教員、増田昭一さんが自身の体験をつづった「満州の星くずと散った子供たちの遺書」に収められた「ともちゃんのおへそ」とのことです。

中国残留孤児のボランティアをしていた千野誠治さんがこの話を知り、もっと広めようとともちゃん地蔵を彫刻家に依頼して建立したのが2001年のことです。

ともちゃん地蔵は六本木のほかにも、神奈川県箱根町阿弥陀寺と埼玉県岩槻市慈恩寺にも安置されているとのことです。

ギャラリーで売られていた手作りのお地蔵さん

お守り地蔵

てひねり地蔵

ビルの中のギャラリーには、語りつごう ともちゃんの会の代表、千野誠治さん手作りのお地蔵さんが売られていました。

ともちゃん地蔵へのアクセス

東京都港区六本木6-11-16