本尊がお地蔵さんというお寺も少なからず存在します。
品川区にある来福寺は、通称経読(きょうよみ)地蔵というお地蔵さんが本尊となっています。
一体どうしてこのような名前が付けられているのでしょうか?
【目次】
来福寺の基本情報
来福寺は真言宗智山派のお寺で、山号は海賞山、院号は地蔵院。
正暦元年(990)に智弁阿闍梨により創建されました。
御府内八十八ヶ所霊場26番札所、玉川八十八ヶ所霊場74番札所、東海三十三観音霊場2番札所ともなっています。
山門
本堂
聖天堂
御水盤
経読地蔵
本尊の延命地蔵(経読地蔵)は、本堂に安置されています。
なぜ経読(きょうよみ)地蔵と呼ばれているのかといえば、このような言い伝えがあるからです。
経塚と呼ばれるようになってから数百年がたった室町時代、文亀元年(1501)のできごとです。
このあたりを梅巌というお坊さんが通りかかると、近くからお経を読む声が聞こえてきました。
「はて、人かげも見えないのに、いったいどうしたことだろう?」。
梅巌が声のするほうへ近づいてみると、聞こえてくるのは経塚の土の中からでした。
どろいた梅巌はていねいに土をほりおこしていきました。
すると、一体の仏像があらわれ、お経も聞こえなくなりました。
土をはらって手にとってみたところ、それはたいへんりっぱなお地蔵様でした。
「世の中にはこのように不思議なこともあるものだ。みごとな仏像がどうして土の中にうめられていたのだろう……?」。
この像についてもっと知りたくなった梅巌は、いろいろと調べてみることにしました。
そして、これは長い間、ゆくえがわからなくなっていた来福寺のご本尊「延命地蔵」だということがわかりました。
弘法大師が作ったとも伝えられている大切なご本尊が見つかったと、来福寺のお坊さんもとてもよろこび、梅巌に何度も「ありがとうございます」と言って、再び寺に置くことにしました。
このことがあってからは、この像を「経読地蔵」とも呼ぶようになったということです。
経読地蔵は秘仏となっていますので、残念ながらその姿を拝むことはできませんでした。
来福寺の著名な建造物
- 林浄因(日本に饅頭の製造法をもたらした人)の碑
- 阿波商人の墓(阿波の藍商人の墓を合葬したもの)
- 安部晋三奉納の桜
弘法大師像
観音菩薩像
来福寺で見つけたその他のお地蔵様
御朱印も頂きました