お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

首切り地蔵尊(延命寺)

南千住にて(前回記事にした)小塚原回向院と共に訪れたお寺です
歴史的な背景を考えると、二つの記事をまとめて一記事にすべきだったかもしれません
しかし記事がかなり長くなりそうでしたので、分けて記事にすることとしました

ぜひ前回の記事も合わせて読んでみてください

jizo-bosatsu.hatenablog.com


処刑所に関するお地蔵さんということで、正直言うとあまり楽しい気分の訪問とはなりませんでした


【目次】

延命寺の基本情報と歴史

延命寺 山門

延命寺は浄土宗のお寺で、山号は豊国山
昭和57年に小塚原回向院から独立する形で、小塚原刑場跡地に開山しました
お寺の名前「延命寺」は、首切り地蔵延命地蔵尊であることに由来していると言われています

延命寺 本堂

首切り地蔵とは

延命寺 首切り地蔵尊

延命寺は、江戸時代から明治初期にかけて存在した小塚原刑場の跡地にあります
首切り地蔵は、この刑死者の菩提をとむらうため寛保元年(1741)に造立されたものです

小塚原の首切り地蔵尊

 高さが4メートル近くある、かなり大きなお地蔵さんです
27個の花崗岩を組んで作られているとのことです

地蔵菩薩像

首切り地蔵前のたくさんのお地蔵さん

首切り地蔵の周りにもお地蔵さんがたくさん囲んでいました

題目塔

題目塔には「南無妙法蓮華経」と刻まれています
このお題目は主に日蓮宗で唱えられるものです
延命寺は浄土宗ですので、不思議な気がします

 

調べてみると、日蓮宗の熱心な信徒であった京都の谷口という人が、罪人の供養のため、元禄11年(1698)に建立したとのことです。

 

また延命寺では、2016年から戦前行われていた縁日が復活したのだとか
この縁日は、商店街がかつての受刑者を供養しようと始めたもので、バナナのたたき売りなどの露店が何百軒も並び、かなりの賑わいをみせたといいます

 

復活して3回目である、去年(2018年)の縁日では800名を超える来場者があり、射的や出店、マジックショーや抽選会などの催し物で大変盛り上がったとのこと
今年も行われる予定とのことですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか

tomoiki.jp

延命寺へのアクセス

荒川区南千住2-34-5


JR南千住駅より徒歩3分

吉展地蔵尊(小塚原回向院)

南千住駅前にある小塚原回向院の入り口には、吉展(よしのぶ)地蔵尊というお地蔵さんが立っています

「どうしてこんな名前が付いているのだろう?」と思い、調べていると戦後最大誘拐事件と所縁のあるお地蔵さんだということが分かりました
お寺の歴史とともに解説していきましょう


【目次】

吉展(よしのぶ)地蔵尊とは

吉展(よしのぶ)地蔵尊

1963年3月31日に台東区入谷町(現在の松が谷)で男児誘拐殺人事件が発生しました


日本で初めて報道協定が結ばれた事件であったこと、犯人が身代金奪取に成功したこと、事件が迷宮入りして解決まで2年以上要したことなどから、国民的な関心を集めた事件となりました


事件の被害者である村越吉展ちゃんの菩提寺である小塚原回向院入口近くに、供養の為に吉展(よしのぶ)地蔵尊が祀られるようになりました


また吉展ちゃんの白骨化された遺体が見つかった円通寺の境内にも同様の名前のお地蔵さんが祀られているとのことです

ja.wikipedia.org

小塚原回向院の基本情報

小塚原回向院

小塚原回向院は浄土宗のお寺で、山号は豊国山、院号は回向院
開山は本所回向院の住職弟誉義観、本尊は阿弥陀如来
墨田区の回向院と区別する為に小塚原回向院と呼ばれています。

小塚原回向院の歴史

この近くには、三大刑場と言われた小塚原刑場があり、処刑者が丁寧に埋葬されなかった為、当時は臭気が充満し、野犬などが死体を食い荒らすといった悲惨な状況だったといいます


その状況を見た回向院の住職が、寛文七年(1667)行路病死者や刑死者の供養のために創建したのが小塚原回向院です
当時は常行堂と呼ばれていたとのこと

 

明治初めに廃止されるまで、小塚原刑場で処刑された人は約20万人と云われています。
常磐線の鉄道敷設の際に南北に分断されました。その後分断された南側部分が独立したのが延命寺です

小塚原回向院の著名な建造物

基本的に墓地内の撮影はしないことにしているので、画像はありません(検索すればたくさんヒットします)

  • 吉田松陰の墓
    1863年高杉晋作らによって世田谷区若林に改葬され、その地に松陰神社が建立されたので、ここには当時の墓石だけが文化財として保存されています
  • 橋本左内の墓
  • 頼三樹三郎の墓
    政治犯であった橋本左内頼三樹三郎の処刑は、小塚原刑場ではなく伝馬町牢屋敷でしたが、罪人として回向院に葬られました
  • 小塚原刑場跡
  • 観臓祈念碑
    杉田玄白前野良沢らが、ここで腑分けを見学したことをきっかけとして「ターヘルアナトミア」の翻訳に着手し「解体新書」を出版したことを顕彰するため建てられたもの

小塚原回向院へのアクセス

荒川区南千住5-33-13


JR南千住駅より徒歩2~3分

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愛全地蔵尊

地下鉄九段下駅から神保町方面へ歩いていると、愛全地蔵尊という名前のお地蔵さんを見つけました


名前の由来はどのようなもので、どうしてここに立っているのでしょうか?

愛全地蔵尊とは

愛全地蔵尊

地蔵祠の中に立っていた愛全地蔵尊
その足元にはお地蔵さんの説明書きがありました

 

舌代

此お地蔵様は、京都熊野郡久美浜町字古神谷の本願寺より、明治四十三の秋東洋幼稚園と東洋家政女学校の校長岸辺福雄先生がお寺に懇願の上譲り受け、当地に持って来られたのであります 
年々の供要は、湯島の霊雲寺の住職に依てお祭りを致し、毎日礼拝されました。
作者は不明ですが鎌倉時代のものと申されて居ります
大正十二年の大震災で十数個はこわれましたのをつぎ合わせました 岸辺先生はカバン地蔵と名付ましたが、誰云ふとなく身代り地蔵子育地蔵とか火消し地蔵と申されて居ります
区割整理の為当町でお守する事になり、大震災大東亜戦又は事故死その他各位の方々の霊をおまつりし、年々供要を兼ねお祭りをし、愛全地蔵と霊雲寺の和尚さんは名付て戴き、今度皇太子御成婚記念としお堂新築致したのであります

昭和三十四年四月吉日 愛全地蔵講

 

 

この銘板は、地蔵尊の上部に取り付けてある木製銘板の文面をそのまま写したものとのこと


カバン地蔵、身代わり地蔵、火消し地蔵など色んな別称があるお地蔵さんなのですね
愛全地蔵尊と呼ばれているのは、目の前にある愛全公園にちなんでのことなのでしょうか?

愛全地蔵尊と地蔵祠

動画がYoutubeにアップされていました

youtu.be

愛全地蔵尊祭礼

周辺の町内会の人たちと湯島霊雲寺住職により愛全地蔵尊祭礼が行われているみたいです
祭礼ではご先祖様のご供養と、衆生安楽祈願を厳粛に営まれます

愛全地蔵尊へのアクセス

千代田区神田神保町2-10-10