お地蔵さんブログ

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吉展地蔵尊(小塚原回向院)

南千住駅前にある小塚原回向院の入り口には、吉展(よしのぶ)地蔵尊というお地蔵さんが立っています

「どうしてこんな名前が付いているのだろう?」と思い、調べていると戦後最大誘拐事件と所縁のあるお地蔵さんだということが分かりました
お寺の歴史とともに解説していきましょう


【目次】

吉展(よしのぶ)地蔵尊とは

吉展(よしのぶ)地蔵尊

1963年3月31日に台東区入谷町(現在の松が谷)で男児誘拐殺人事件が発生しました


日本で初めて報道協定が結ばれた事件であったこと、犯人が身代金奪取に成功したこと、事件が迷宮入りして解決まで2年以上要したことなどから、国民的な関心を集めた事件となりました


事件の被害者である村越吉展ちゃんの菩提寺である小塚原回向院入口近くに、供養の為に吉展(よしのぶ)地蔵尊が祀られるようになりました


また吉展ちゃんの白骨化された遺体が見つかった円通寺の境内にも同様の名前のお地蔵さんが祀られているとのことです

ja.wikipedia.org

小塚原回向院の基本情報

小塚原回向院

小塚原回向院は浄土宗のお寺で、山号は豊国山、院号は回向院
開山は本所回向院の住職弟誉義観、本尊は阿弥陀如来
墨田区の回向院と区別する為に小塚原回向院と呼ばれています。

小塚原回向院の歴史

この近くには、三大刑場と言われた小塚原刑場があり、処刑者が丁寧に埋葬されなかった為、当時は臭気が充満し、野犬などが死体を食い荒らすといった悲惨な状況だったといいます


その状況を見た回向院の住職が、寛文七年(1667)行路病死者や刑死者の供養のために創建したのが小塚原回向院です
当時は常行堂と呼ばれていたとのこと

 

明治初めに廃止されるまで、小塚原刑場で処刑された人は約20万人と云われています。
常磐線の鉄道敷設の際に南北に分断されました。その後分断された南側部分が独立したのが延命寺です

小塚原回向院の著名な建造物

基本的に墓地内の撮影はしないことにしているので、画像はありません(検索すればたくさんヒットします)

  • 吉田松陰の墓
    1863年高杉晋作らによって世田谷区若林に改葬され、その地に松陰神社が建立されたので、ここには当時の墓石だけが文化財として保存されています
  • 橋本左内の墓
  • 頼三樹三郎の墓
    政治犯であった橋本左内頼三樹三郎の処刑は、小塚原刑場ではなく伝馬町牢屋敷でしたが、罪人として回向院に葬られました
  • 小塚原刑場跡
  • 観臓祈念碑
    杉田玄白前野良沢らが、ここで腑分けを見学したことをきっかけとして「ターヘルアナトミア」の翻訳に着手し「解体新書」を出版したことを顕彰するため建てられたもの

小塚原回向院へのアクセス

荒川区南千住5-33-13


JR南千住駅より徒歩2~3分