お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

地蔵菩薩像 天桂寺(南阿佐ヶ谷)

阿佐ヶ谷に行く機会があったのでお寺巡りをしてきました
あんまりお寺の多いエリアではありませんが、それでもお地蔵さんのいるお寺を見つけることができました

天桂寺の基本データ

天桂寺曹洞宗のお寺で、山号は月光山
本尊は木造聖観音菩薩坐像

天桂寺の歴史

慶長年間(1596~1614)小田原北条氏の家臣、岡部忠吉が氏祖岡部六弥太忠澄を勧請開基として一庵を建てたのが始まり
寛永10年に(1633)頃、忠吉の子で旧田端村の領主となった幕府旗本岡部吉正が、中野成願寺6世鉄叟雄?和尚を招き、開山として伽藍を整えるなど寺院を整備
延宝3年(1675)吉正の孫岡部忠豊が葬られて以来、岡部家の葬地となりました。
安政3年(1856)大暴風にあって、建物は全て倒壊し、記録什宝類も破損腐朽。
大正12年(1923)現本堂が建立

阿佐ヶ谷 天桂寺 山門

阿佐ヶ谷 天桂寺 

天桂寺山門付近の様子

阿佐ヶ谷 天桂寺 本堂

天桂寺本堂

阿佐ヶ谷 天桂寺 道了堂

天桂寺道了堂

阿佐ヶ谷 天桂寺 地蔵菩薩像

天桂寺のお地蔵さん(寛政七年銘)

天桂寺にある著名な建造物など

  • 岡部六弥太澄武者絵(浮世絵師嶺斎泉里が描いたもので寺宝となっています)
  • 聖観音石像(俗に「庚申観音」と呼ばれる珍しい石仏、寛文四年(一六六四)銘)
  • 岡部氏一族の墓附位牌(杉並区区指定文化財

天桂寺へのアクセス

杉並区成田東4-17-14

東京メトロ丸の内線「南阿佐ヶ谷駅」より徒歩3分

塩地蔵(心法寺)

塩地蔵と呼ばれるお地蔵さんが色んな場所に存在します


その名の通り塩に埋もれているお地蔵さんで、自分の体の治してほしい部分と同じ場所にお地蔵さんいに塩を塗ってお祈りするとご利益があるとされるものが多い気がします

jizo-bosatsu.hatenablog.com

麹町にある心法寺にいらっしゃる塩地蔵もまた体に塩を塗ってお参りするお地蔵さんです
墓地内にある六地蔵とともに200年以上の歴史があり、麹町の史料にも記述があります
身体健康にご利益があるとされています

心法寺の塩地蔵

心法寺の塩地蔵(右側)

心法寺の塩地蔵(左側)

塩地蔵のある心法寺とは

心法寺は慶長2年(1597)に開かれた浄土宗のお寺です
千代田区内で唯一江戸時代江戸時代初期からの寺院となっています

開山は然翁聖山上人、開基は徳川家康
山号は常栄山、本尊は木造阿弥陀如来坐像
東京三十三観音霊場15番札所ともなっています

心法寺の歴史

元々は推古天皇の頃三河国に創建された寺院で、当時は秦宝寺と称していました
心法寺として起立したのは慶長2年(1597)徳川家康の入府に従ってのことです

心法寺開山の然翁聖山上人は三河国から天正18年(1590)に徳川家康といっしょに江戸にやってきました
三河国に帰ろうとした上人を家康が引きとめ、当初は市ヶ谷に広い寺地を与えました
しかし「衣食が十分だと僧侶が怠け者になってしまう」「江戸に移住した町人たちのために大衆的なお寺にしたい」という二つの理由で断り、現在の地に建てられることになりました

天保9年(1838)心法寺から出火、寺と麹町の多くが焼かれてしまいました
天保11年(1840)に中屋敷内御殿が払い下げられ、弘化4年(1847)に復興しました。

江戸時代には有名であった閻魔様もあったのですが、東京大空襲の際に焼かれてしまったそうです
閻魔様とお地蔵さんは同一なので、焼かれたのは非常に悔やまれます

jizo-bosatsu.hatenablog.com

本堂

心法寺の本堂

心法寺の文化財

・井沢弥惣兵衛為永の墓
・竹尾善筑の墓
・真野是翁の墓
麹町区役所職員殉職碑

塩地蔵(心法寺)へのアクセス

・木造阿弥陀如来坐像

この心法寺に伝えられる本尊「木造阿弥陀如来坐像」は、像高109.0cm(3尺5寸9分)、ヒノ材寄木造りで漆箔を施し、おおむね12世紀最末から13世紀第一四半期までの製作と考えることができます。すなわち本像の像容・面貌は平安時代後期、11世紀に仏師定朝が完成した定朝式に基本的にしたがうもので、寄木造りの手法にも、その直の特色をしめしていますが、胸腹部など厚く量感をもった体躰などには、鎌倉時代初頃に成立した新様式の影響がうかがわれます。この点からすれば、本像は鎌倉時代にはいってからの製作と考えるのが自然でしょう。ただし後頭部、左腕の一部と右腕の全部など補修部分が多く、製作当所の像容をかなり損ねており、従って製作年代の確定を困難にしている点も否めません。しかし平安時代後期の面影をのこす鎌倉時代初期の、等身大をうわまわる大きさの像が都心の寺院に遺存することは貴重な事例です。

引用:境内の掲示

 ・紙本着色仏涅槃図

心法寺には、「紙本着色仏涅槃図」も伝わっています。本件は、沙羅双樹の下で釈迦が入滅する姿を描いた仏画です。中央の釈迦には箔が貼られ、横158.4cm。本図の画面上部の構成は、仏画の典型に従っており、類型的に描かれています。これに対し、画面最下段の部分には、多くの鳥獣が凝縮して描かれています。これら動物が釈迦の入滅に際して泣き、嘆き悲しむ姿で描かれるのが普通ですが、本図ではほとんどの動物が嘆き悲しまず冷静な姿で、いわば写実的、博物学的に描かれています。そしてこのような博物学的な写生図の気運が高まるのは、一般に享保時代以降とされています。また図中には、「伯喬図」との落款があります。この伯喬については、「武江年表」元文元年(1736)8月の記事に「品川(北番場)天竜寺に、呉道子の筆南海補堕山鎮海寺立石観世音像を写して碑を立つる(素人斎伯喬之を写す、加藤氏造立)」とあります。以上のことから本図は、享保・元文年間(1716-41)に作製された作品であると思われます。

引用:境内の掲示

 ・銅製鐘楼

心法寺の鐘楼

・水盤
・下野皆川藩松平家墓所
庚申塔

心法寺の庚申塔

心法寺にある著名人の墓

・井沢弥惣兵衛為永の墓
・竹尾善筑の墓
・真野是翁の墓
麹町区役所職員殉職碑

塩地蔵(心法寺)へのアクセス

千代田区麹町6-4-1

JR四ツ谷駅より徒歩5分

吉祥寺御縁地蔵

吉祥寺にお地蔵さんがシンボルとなっているビルがあると聞いて行ってきました
じぞうビルのエントランスに立っている吉祥寺御縁地蔵

 

吉祥寺御縁地蔵 全身

まさかビルの名前までじぞうの名が付いているとは思いませんでした
いったい何故じぞうビルが建てられ、お地蔵さんが置かれるようになったのか?
調べていくうちに意外なことがたくさん分かりました

なぜじぞうビルという名前が付いているのか?

それは株式会社じぞう屋という会社がビルの運営管理を行っているからです

会社名の由来はお地蔵様のように地域に愛され、地域を笑顔にする企業に目指したいという理念からです

ちなみにじぞうビルは2つあり、御縁地蔵がいらっしゃるのは(第一)じぞうビルですので場所を間違えないよう

じぞうビルには何が入っているの?

御縁地蔵がいる1階にはカフェやかき氷さんなど4つの飲食店

ビル全体では8つの飲食店が入ってます

個人的には地蔵の名前が冠されたZIZO BARに惹かれます

吉祥寺 ZIZOBAR zizoya.co.jp

吉祥寺御縁地蔵とは?

恋愛成就、縁結びで全国的に有名な幸福地蔵がある京都の鈴虫寺

その鈴虫寺のお坊さんに開眼供養して頂き、吉祥寺の地域の皆さんの共に「日本一笑顔の素敵なお地蔵様」を目指して建立したのが「吉祥寺御縁地蔵」なのです

確かに素敵な笑顔をしていらっしゃいます

吉祥寺御縁地蔵

愛する吉祥寺の街から人と人を繋ぎ笑顔の輪を広げたい
そんな想いのこもったお地蔵さまです

吉祥寺御縁地蔵のお参りの方法

1.お賽銭を入れて紅白の組紐を1本取ります 吉祥寺御縁地蔵の近くに置かれている紅白の組紐

2.組紐をお地蔵様の錫杖から垂れる太い紐にしっかりと結びます

お地蔵さんの錫杖に結ばれた紅白の組紐

3.名前と住所を伝えてお願い事をします

お願いをした人の組紐がこんなにたくさんありました

お願い事をした人のたくさんの紅白の組紐

恋みくじやお守りも売ってます

1回100円の恋みくじを引いてみました

吉祥寺にある恋みくじ

恋みくじから出てきたガチャポン

ガチャポンから出てきた恋みくじ

結果は・・
中吉でしたが、あまり愛情運は良くないと書かれていました↓↓

8月にはお地蔵さんの縁日地蔵盆も開催されます

既に6回開催されている、お地蔵さんの縁日「地蔵盆

jizo-bosatsu.hatenablog.com

主に近畿地方で行われている行事ですが、都内で行われるのは珍しいです

屋台や出店などで賑わうみたいですので、機会があれば参加してみたいですね

吉祥寺御縁地蔵へのアクセス

東京都武蔵野市吉祥寺南町1-9-9 吉祥寺じぞうビル 1階エントランス内JR、京王井の頭線 吉祥寺駅から徒歩2分