お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

わらべ地蔵(天龍院)みしま地蔵尊

谷中のお地蔵さん巡りシリーズのとりあえず完結編です。
無論谷中エリアのお地蔵さんを網羅したわけではないので、このエリアには今後も足を運ぶことになりそうです。

 

今回紹介するのは、わらべ地蔵とみしま地蔵尊
名もなきお地蔵さんよりも、このように名前が付いたものの方がやっぱり関心をもってしまいます

 

その他の谷中エリアのお地蔵さんの記事はこちらからチェックしてください

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最初に紹介するのは、天龍院です
今回は見ることはできませんでしたが、台東区有形文化財となっている木像地蔵菩薩立像があるとのこと
秘仏でなければ、ぜひお目にかかりかったです

 

地蔵菩薩は、釈迦がなくなってから、ずっとのちの世に弥勒菩薩があらわれるまでの間、つまり今の世で人々を救済するといわれている菩薩です。日本では、塞の神道祖神の信仰と結びついて、道ばたの地蔵や塞の川原の地蔵などという形で親しまれています。

髪をきれいに剃った僧形で、右手に錫杖、左手に宝珠を持った姿が、よく知られています。 天龍院の地蔵菩薩像は、正面を向いてまっすぐに立った立像です。

像高は33.6cmという小さな姿ですが、とても細かい技法がみられます。像の衣の部分にほどこされている緻密な文様は、金泥(とともに、金箔を細く切ってはり、模様をつくる切金という技法を駆使して描かれたとても精巧なもので、製作者の技術の高さをうかがわせます。

からだの部分には漆箔がはられ、眼は玉眼がはめこまれています。
像の底部には、次のように銘文があり、この像のつくられた年代がわかります。


「仏師大輔/絵師大輔/文明11己亥/二月三日/施主浄胤/□□□」
文明11年は西暦1479年、室町時代後期にあたります。制作年代の明らかな像としても貴重なものです。
この像が天龍院の所蔵になった経緯については、ほとんどわかりません。

 

引用:猫の足あと「海雲山天龍院|台東区谷中にある臨済宗妙心寺派寺院

 

谷中 天龍院 山門

谷中 天龍院

谷中 天龍院 本堂

天龍院の基本情報

天龍院は臨済宗妙心寺派のお寺で、山号は海雲山。
梅岩西堂和尚が寛永7年(1630)神田に創建、当地に移転されたのは元禄14年(1701)のこととなります。
本尊は釈迦如来坐像。

天龍院のお地蔵さん

子育て地蔵尊

谷中 天龍院 子育て地蔵尊

わらべ地蔵尊

谷中 天龍院 わらべ地蔵

名前の由来は残念ながら分かりませんでした
同名のお地蔵さんでは、京都の大原三千院のわらべ地蔵が有名です

天龍院のその他の建造物

  • 伊東玄朴の墓(蘭方医で近代医学の祖とされている)
  • 高久靄崖(たかくあいがい)の墓(江戸時代後期の文人画家)
  • 神波即山(かんなみそくざん)の墓(明治時代の漢詩人)

天龍院へのアクセス

東京都台東区谷中4-4-33

 

続いて紹介するのは、お寺の境内にあるお地蔵さんではなく、初音児童遊園地にあるお地蔵さんです
三四真(みしま)地蔵尊という名前のお地蔵さんです

谷中 みしま地蔵尊

写真だと分かりづらいですが、お地蔵さんは石の表面に彫られています

みしま地蔵尊

太平洋戦争下の昭和二十年三月四日午前八時四十分頃、小雪降る中に、谷中地区はB29爆撃機の空襲を受け、死傷約五百人、全半壊家屋約二百戸の被害を蒙った。
戦争も終り昭和二十三年、当時の三崎町、初音町四丁目、真島町の有志により、三ヵ町の戦災死者七十余名の霊を永久に供養するために地蔵尊が建立された。

 

三四真(みしま)地蔵尊の名前の由来は、それぞれの町名の1文字を取って名づけられたからである
近所の方々によって管理がなされているのでしょう
きれいな花がお供えされていて、清掃も行き届いていました

みしま地蔵尊へのアクセス

東京都台東区谷中3-7-1

谷中エリアはお寺の多いエリアです
また機会があれば、紹介しきれなかったお地蔵さんを探しに訪れてみたいと思います

一円地蔵(永久寺)、六地蔵(明王院)

谷中エリアのお地蔵さんシリーズ
もう少し続きます

今回は一円地蔵という珍しい名前のお地蔵さんなどを紹介したいと思います
谷中エリアのその他の記事はこちらから読んでみてください

jizo-bosatsu.hatenablog.com

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【目次】

 

一円地蔵という変わった名前のお地蔵さんは、永久寺という曹洞宗のお寺にいらっしゃいます

 

本堂

谷中 永久寺 本堂

永久寺の基本情報

永久寺は曹洞宗のお寺で、山号は興福山。
谷中玉林寺中興開山の風室興春和尚(慶安3年1650年遷化)が隠居寺として創建したと言われています
本尊は釈迦如来

一円地蔵

永久寺 一円地蔵

 

見た目は普通のお地蔵さんだけど、舟形の光背に一円玉が刻まれているのが特徴的
一円を粗末にしないようにとの願いを込めて、芸大の一柳雅一氏が彫ったものだとか

 

足元には香炉が賽銭箱代わりになっていました
中に入っているのはもちろん一円玉

お賽銭は一円玉

永久寺のその他の建造物

山猫めをと塚

山猫めをと塚

 

境内に入って最初に目についたのが「山猫めをと塚」と書かれた石碑
幕末から明治初期の戯作者、仮名垣魯文(かながきろぶん)の愛猫の供養碑とのこと
魯文にこの雌雄の山猫を贈ったのが、明治の海軍卿である榎本武揚だそうです

 

こちらは猫のお顔が彫ってある猫塚碑

猫塚碑

永久寺へのアクセス

東京都台東区谷中4-2-37

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続いて訪れたのが明王院

 

山門

谷中 明王院 山門

明王院の基本情報

明王院新義真言宗のお寺で、山号は天瑞山、寺号は歓福寺。
本尊は阿弥陀如来
御府内八十八ヶ所霊場57番札所にもなっています

明王院の歴史

明王院は、弁円法印が開山となり慶長16年(1611)神田北寺町に開山
当地に移転されたのは、慶安元年(1648)のことになります

 

六地蔵

谷中 明王院 六地蔵

 

大子堂
弘法大師像が安置されています

谷中 明王院 大子堂

明王院へのアクセス

東京都台東区谷中5-4-2

除病地蔵尊(谷中不動尊)、初音六地蔵(観智院)

まだまだ紹介しきれない谷中エリアのお地蔵さん
今回は谷中不動尊で知られる総持院で見つけた「除病地蔵尊」そして観智院の「初音六地蔵」を紹介します

谷中エリアの他の記事もぜひ合わせて読んでみてください

jizo-bosatsu.hatenablog.com

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【目次】

 

最初に谷中不動尊で知られる総持院を紹介しましょう

 

山門

谷中不動尊 山門

本堂

谷中不動尊 本堂

総持院の基本情報

総持院は天台宗のお寺で、山号は広隆山、寺号は元導寺。
本尊は阿弥陀如来。芝崎町の東光院が本寺。
高村光雲が宅地内に住んでいたことや、谷中不動尊があることでも知られています。

谷中不動尊

天正18年(1590)徳川家康江戸入府のとき、旗本大久保七郎右衛門忠世(彦左衛門長兄)も大山不動尊と同木同作と言われている守護神の不動尊を奉持して、神田寺町に安置したのが始まりとされています。

谷中不動尊

総持院の歴史

栄松法印が慶長16年(1611)神田寺町に創建
当地に移転したのは慶安元年(1648)のことになります。

 

なお当時、町名は総持院門前町と称していましたが、明治2年に総持院町と改め、12年4月に谷中町となりました。
谷中町及び近辺の信者で講中を作り、大山詣りも盛んに行われ、毎月28日の縁日には屋台も出て賑わったとのことです。

 

家康の長子信康(1579自刃)と、その母築山(今川義元の養女。1579賜死)の母子共に生害されたのを忠隣の孫忠朝深く憐み、元禄11年(1698)120回の御忌辰には、御位牌を当院に安置されてご冥福を祈念されました。

 

幸運にも関東大震災、戦災共に難を逃れています

 

昭和9年都市計画による道路新設のため、境内地を斜めに70坪(231平方メートル)が削減
昭和34年8月不動堂並びに庫裡の一部を改築し、他は補修を加えて現在に至る。

総持院のお地蔵さん

除病地蔵尊

その名の通り、病を取り除いてくれるのでしょうか?

除病地蔵尊

関連サイト

谷中不動尊 総持院 - ホーム | Facebook

総持院へのアクセス

東京都台東区谷中6-2-33


JR日暮里駅より徒歩7分

 

続いては観智院、こちらにも谷中火除不動尊という不動尊がいらっしゃいます

観智院 山門

現在の本堂は福島県佐竹侯の祈願所だったのを移築し、のちに階下を増築し二階建てとしたものです。(当時の本堂は東京大空襲の際に焼失してしまいました)

観智院 本堂

観智院の基本情報

観智院は真言宗豊山派のお寺で、山号は初音山、寺号は東漸寺。
本尊は大日如来、台東初音幼稚園が併設されています
御府内八十八ヶ所霊場63番札所となっています

観智院の歴史

観智院は、照誉法印が慶長16年(1611)神田北寺町に開山
その当時は、醫王山東漸寺圓照院と呼ばれていました

 

慶安元年(1648)觀智院(圓照院)は谷中清水坂に移転
当地に移転したのは万治年中(1658?60)のこととなります

 

元禄11年(1698)院号を現在の觀智院と改めました。

谷中の火除不動

安永8年(1779)、不動堂が建立され、興教大師(覚鑁)の作と伝えられる不動尊像が安置されました。


不動明王は火を観想して動ぜず、あらゆる障害を焼きつくす大智の火を身から発する・・・・・・といわれ、大日如来の使者となって、悪を断じ、善を修して真言行者を守る役割になっています。


文化文政(1804?29)の頃になると、江戸幕府はもちろん近隣からも参詣人が訪れ、門前には市がたつほどの賑わいになったと伝えられています。

谷中の火除不動

観智院のお地蔵さん

初音六地蔵

初音六地蔵

延命地蔵尊と子育て地蔵尊

延命地蔵尊と子育て地蔵尊

山門左手にもお地蔵さんを見つけることができました
画像左の延命地蔵尊は、かつて不動堂に住していた行者が、不動尊の霊告によって境内から掘り出したものです


その隣に立っている子供たちのすこやかな成長を誓願とする子育地蔵は、昭和58年秋の像立です

関連サイト

kanchiin.com

観智院へのアクセス

東京都台東区谷中5-2-4
JR日暮里駅より徒歩8分