お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

姥ヶ橋延命地蔵尊

地蔵祠

 

都営三田線の板橋本町駅から環七通り沿いを東に歩いている時に見つけたお地蔵さんです。

 

石碑

姥ヶ橋延命地蔵尊とは

姥ヶ橋延命地蔵尊

 

この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖(しゃくじょう)を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像です。
台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日石橋供養」の銘文が刻まれています。
向かって左側の堂内には石造の子育地蔵尊がまつられています。
説明板の横には、道しるべでもある小型の文字庚申塔地蔵尊の由来碑があります。
像は、「姥ヶ橋の地蔵様」と呼ばれて親しまれています。
姥ヶ橋とは、稲付川に架かっていた橋の名称です。稲付川は石神井川の支流であり、根村用水とも北耕地川ともいって農業用水として利用されていました。
姥ヶ橋には、誤って川に子どもを落して死なせてしまった乳母が、自ら責めを負ってこの橋から身を投げて命を落としたという伝説があります。
そして地蔵尊の造立は、乳母の供養のためと伝えられていますが、銘文によれば川に架かる石橋の安全供養のためによるものです。
また、地蔵尊は、2つの道が出合う地点にあったことから「出合地蔵」とも呼ばれています。
橋のたもとは、川ロヘの交通路としても利用された十条・板橋道と中山道から分かれて王子稲荷へ向かう王子道とが合流する交通の要所だったのです。
現在は環状七号線の建設で川は暗渠となり、姥ヶ橋も姿を消しました。
しかし、延命地蔵尊には参詣者の絶えることがなく、毎年8月24日の縁日には多くの人々で賑わいます。

 

以上
説明板より引用しました。

 

かつては稲付川という川のあった場所なのですね。
多くの露店が立ち並び、大変賑わうという縁日が毎年8月24日にあるそうです。
縁日とは地蔵盆のようなものなのでしょうか?機会があればぜひ参加したいものです。

 

jizo-bosatsu.hatenablog.com

子育て地蔵尊

子育て地蔵尊

姥ヶ橋延命地蔵尊へのアクセス

東京都北区上十条4-12-4

一里塚子育地蔵尊

一里塚子育地蔵尊

 

東京メトロ大江戸線 練馬春日駅から環八通り平和台駅方面に歩いていく途中で見つけたお地蔵さんです。

 

看板

 

一里塚子育地蔵尊と書かれていることから、かつては一里塚が存在した場所なのでしょうか?
環状八号線拡張に伴って、現在の地に移転されたようです。

 

地蔵祠

 

地蔵祠のすぐ横には案内板があり、この通りがふじ大山道と呼ばれていることが書かれています。


以下案内板より引用します。

ふじ大山道は、大山街道富士街道、道者街道ともよばれています。
それは阿夫利山ともいわれた大山(神奈川県)へ、また大山から富士山への道者たちが通ったからです。
この街道は、北町一丁目で旧川越街道から分かれて、石神井、田無を経て神奈川県伊勢崎市に達していました。
練馬の中央部をほぼ東から西南に横断し、区内では約八キロメートルに及んでいます。
旧川越街道との分岐点には「従是(これより)大山道」と刻んだ道しるべ(道標)が建てられました。
旧暦の六月は、俗に祭月とよばれているように、江戸や関東の各地では、祭礼が盛んに行われました。
阿夫利山も「水の無い月に雨降る山は開き」とあるように、六月二十八日は初山で、それから七月十四日まで、連日、関東の村々から集まった大山講や富士講の人々でにぎわいました。
その道者たちが通ったのがこの街道です。

平成二十一年三月
練馬区教育委員会

 一里塚子育地蔵尊へのアクセス

富久江地蔵

富久江地蔵

 

練馬区田柄の住宅街にで見つけた富久江地蔵。
どのような経緯で建てられたのか?など詳細は調べてみても分かりませんでした。

 

地蔵

 

子守富久江地蔵と書かれているので、子供を守ってくれるお地蔵さんなのでしょう。
福耳なのが特徴的です。

 

富久江地蔵のある赤塚エリアは、比較的お地蔵さんの多いエリアです。
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富久江地蔵へのアクセス