お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

六地蔵など(法禅寺)、平蔵地蔵(海雲寺)

東海道品川宿もまたお寺の多いエリアである
山門と本堂のみというシンプルなお寺も多かったが、その中からお地蔵さんを見つけることのできたお寺をいくつか紹介します

 

法禅寺は浄土宗のお寺で臨海山遍照院と号します。
明徳元年(1390)に言譽定賢によって創建されました。
本尊は阿弥陀坐像、東海三十三観音霊場31番札所となっています。

山号 臨海山
院号 遍照院
寺号 法禅寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀坐像
創建 明徳元年(1390年)
開基 言譽定賢
地蔵 六地蔵など
その他 東海三十三観音霊場31番札所

品川,法禅寺、山門

山門
レンガ造りの門柱は珍しいですね

品川、法禅寺、杉鼻稲荷

杉鼻稲荷

品川、法禅寺、本堂

本堂

法禅寺、六地蔵

天保の大飢饉でなくなった人たちを祀る供養塔(流民叢塚碑)の近くには六地蔵が立っていました

品川、法禅寺、布袋尊

布袋さんも

品川、法禅寺、子育て地蔵

こちらは子育て地蔵でしょうか

【アクセス】
品川区北品川2-2-14

京急電鉄 新馬場駅北口出口から徒歩約3分
京急電鉄 北品川駅出口出口から徒歩約4分

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続いて見つけたのは品川千躰荒神で有名な海雲寺

山号 竜吟山
院号 瑞林院
寺号 海雲寺
宗派 曹洞宗
本尊 十一面観世音
創建 慶長元年(1596)
開基 海晏寺五世分外祖耕大和尚
地蔵 平蔵地蔵など
その他 品川千躰荒神


千躰荒神とは江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてきた火と水をお守り下さる神様です
春秋大祭は江戸年中行事の一つにもなり、かなりの人出があって毎年賑わいをみせています

海雲寺は竜吟山瑞林院と号します
当初は庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺(かいあんじ)境内にあって臨済宗でしたが、慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺となりました
本尊は十一面観世音、江戸三十三観音霊場番外番札所となっています

またトイレの神様として知られる烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)のお札を頂ける貴重なお寺でもあります

品川、海雲寺、山門

山門

品川、海雲寺、鐘楼

鐘楼

品川、海雲寺、千躰荒神堂拝殿

千躰荒神堂拝殿

品川、海雲寺、平蔵地蔵

こちらでは「平蔵地蔵」というお地蔵さんを見つけました
以下看板の書いてあった文章を引用します
「江戸末期、鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。
その一人平蔵は、ある日、大金が入った財布を拾って届け、お礼のお金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。しかし、仲間たちは金を山分けにすれば三人とも乞食をやめて暮らせたのにと腹を立てて、正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった。
この顛末を聞いた財布の落とし主の武士は、大変悲しみ、地蔵像を建てて平蔵の菩提を弔ったという。」
このように実在した人を弔って建てられたお地蔵さんというのも少なからずあります
以前紹介したたこ八郎地蔵もその一つですね

jizo-bosatsu.hatenablog.com

【アクセス】
品川区南品川3-5-21

京急電鉄青物横丁駅」から徒歩2分

海雲寺公式サイト

http://www.sentaikoujin.com/

しばり地蔵尊(願行寺)

以前に縄でしばられたお地蔵さんを紹介しました

jizo-bosatsu.hatenablog.com

jizo-bosatsu.hatenablog.com


しかし都内にはまだ縄でしばられたお地蔵さんがあると聞いて行ってきました

願行寺は浄土宗のお寺で即成山光明院と号します。
観譽祐祟日祐上人によって寛正3年(1462)に創建されました。

山号 即成山
院号 光明院
寺号 願行寺
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀三尊
創建 寛正3年(1462)
開基 観譽祐祟日祐上人
地蔵 しばり地蔵
その他  

開山はそれより約10年後、観誉祐祟上人が当時品川の海辺にあった草庵を今の場所に移して一宇を建立したことによります


また文京区向丘にある同名のお寺は、このお寺の諦譽上人東流和尚がしばしば江戸城に呼ばれたことから、馬喰町に地所を拝領し建立したものです

新馬場、願行寺、山門

山門

新馬場、願行寺、本堂

本堂

新馬場、願行寺、法界堂

法界堂(永代供養堂)

 

そしてありましたしばられたお地蔵さん
不気味なのが背後に並べられている首、そしてお地蔵さん自体にも首から上がありません
(首っぽいのは置かれていましたが・・)

新馬場、願行寺、しばられ地蔵

願行寺、しばられ地蔵

新馬場、願行寺、しばられ地蔵と背後の首


なぜお地蔵さんに首がなく、何体もの首が並べられているのでしょうか?

それは近くの看板に書かれていました
新編武蔵風土記の巻54の「願行寺」の項には「里人しばり地蔵という。病を祈るもの縄にてしばれは験あり、十夜に至りて和尚縄を解く、其の後しばり初むと云う」とある
地蔵尊は我が身を縛られることで病や災難に苦しむ者の身代わりとなり、その苦しみを引き受けてくださるのである。

いつの頃かお首を一つそっと持ち帰り毎日お祈りをして、願が叶ったらお首を二つにしてお返しするなどの願の掛け方も行われるようになった

・・さすがに首を持ち帰る勇気はありませんでした
今まで数多くのお地蔵さんを見てきましたが、祈願者がお地蔵さんの顔をすげ替えるというパターンは初めてです

【アクセス】
品川区南品川2-1-12
最寄駅:京浜急行新馬場」南口徒歩1分

新田坂の石造物群(板橋区唯一の道祖神、子育て地蔵尊)

埼玉県和光市から川越街道を池袋方面に進んでいくと、丁度県境の辺りに「子育て地蔵尊と書かれたのぼりがあることに気がつきました
この辺りは武蔵野台地を白子川が削り取った谷となっており、かつては新田坂と呼ばれていました

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子育て地蔵尊の他にも石造物四基があり、そのいずれもが新田坂周辺から集められたものです
道祖神板橋区唯一のもので、文政13年(1830)に建立された歴史の古いものです
昭和59年にこの石造物四基は有形文化財に登録されました

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お稲荷さんと常夜燈

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双体道祖神(一組の人像を並列させた道祖神
道祖神が集落の境や村内と村外の境界や道の辻に建てられることが多いことを考えると、県境のこの場所に道祖神があることは何ら不思議はないといえるでしょう
もともとは近くにある八坂神社の入口付近にあったものらしいです

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