お地蔵さんブログ

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坂下平和地蔵尊・延命地蔵尊(千駄木)

最近観光客も多く、注目を浴びている谷根千
千駄木の「よみせ通り」という商店街に延命地蔵尊」「水洗地蔵尊という地元の人々に愛されているお地蔵さんがあります
毎月24日にはこのお地蔵さんの縁日があって大勢の人で賑わうのだとか
何だか地蔵盆みたいな行事ですね

jizo-bosatsu.hatenablog.com

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元々は長野県南佐久の古刹黄蘗宗玉井山法城院に、今から370年前(寛永年間)より伝わる地元でも評判のお地蔵さんでしたが、地元出身の篤信家の方がお寺にお願いして、昭和8年(1933年)当地に移して安置お祀りしたものです

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すぐそばには「水洗地蔵尊が、こちらはお願い事をしながらその体を洗い清めることによって悩み事や病などにご利益があるのとのこと

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【アクセス】
文京区千駄木3-46-9
東京メトロ千駄木駅 徒歩6分


さらに千駄木周辺を歩いていたら路上のお地蔵さんを見つけました
こちらは交差点の近くに立っていた為、交通事故の供養で建てられたものかと思いましたが違いました
祠に入っている「坂下地蔵尊その由来はこう記してあります

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1945年(昭和20年)3月4日朝、アメリカ空軍B29によって、この地域の千駄木・谷中に多数の爆弾が投下され、大きな被害を受けました。
死者500人以上といわれています。この地には、銭湯「鹿島湯」があり、石炭貯蔵庫を防空壕に使用していました。
同銭湯に爆弾が投下し、防空壕に入っていた赤ちゃんを含む23人の方が犠牲になりました。
1959年(昭和34年)この方々の冥福と戦争を二度と起こさぬことを誓い、近所の人々によって、この地蔵尊が建立され、「坂下平和地蔵尊と命名されました。

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【アクセス】
文京区千駄木3-43-1
東京メトロ 千駄木駅 徒歩2分

虎ノ門周辺のお地蔵さん

こちらも虎ノ門ヒルズ周辺にあったお寺です
栄寿寺は浄土宗のお寺で本尊は阿弥陀如来

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山門をくぐると墓地へと続く道に六地蔵と朽ちた石仏群

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本堂は二階でしょうか?こちらもコンクリート建ての近代的なお寺ですね

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【アクセス】
東京都港区虎ノ門3-10-13
東京メトロ日比谷線 神谷町駅徒歩5分、銀座線 虎ノ門駅徒歩6分、都営三田線 御成門駅徒歩7分


続いて見つけたのは愛宕山グリーンヒルズのすぐ隣にある青松寺

曹洞宗のお寺で、山号は萬年山(ばんねんざん)
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つということもあってかなり立派なお寺です
当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町付近)に建てられましたが、江戸城拡張に際して現在地に移転しました
境内にあった「獅子窟学寮」の中の「曹洞宗大学林専門本校」は現在の駒澤大学の前身である

山門
写真はありませんが、山門の左右には仁王像が立っています

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中雀門

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本堂

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お地蔵さんも一体見つけることができました

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【アクセス】
港区愛宕2-4-7
東京メトロ 日比谷線神谷町駅 3番出口より徒歩8分
東京メトロ 三田線御成門駅 A5出口より徒歩5分

青松寺公式サイト

http://seisyouji.p1.weblife.me/

勝軍地蔵(真福寺)

虎ノ門ヒルズの周辺でお地蔵さん探しをしていたところ珍しく勝軍地蔵を見つけることができました

jizo-bosatsu.hatenablog.com


いわゆる普通のお地蔵さんを見つけることは比較的容易ですが、勝軍地蔵はめったにお目にかかることができません
レアポケモンが出現したような喜びと共に早速写真撮影

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一見お寺には見えない真福寺の陰に隠れるようにそのお地蔵さんは設置されていました
(恐らく大半の人は素通りしてしまうでしょう)

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天平10年(738)行基菩薩が近江信楽遊行の折りに彫られたもので、霊験あらたかな地蔵菩薩として崇められていました
天生10年(1582)徳川家康本能寺の変の難を逃れるため伊賀越に際し、信楽土豪多羅尾氏がこの勝軍地蔵を献上、爾来家康の帰依は厚かったとされる
慶長8年(1603)家康が征夷大将軍に栄進、伴って愛宕神社を創建、同社の本地仏として勧請、神証を別当円福寺第一世とした
明治の神仏稀釈で円福寺は廃寺、勝軍地蔵は真福寺に移されました
関東大震災で焼失したが、昭和9年銅製で造顕されました

真福寺真言宗智山派総本山智積院の別院で宗務出張所が置かれています
天正19年(1591)中興照海上人が出府して鉄砲洲に庵室を構え、慶長10年(1605)に愛宕下の地所を拝領して開創したとされています
お本尊は薬師如来、御府内八十八ケ所霊場第67番札所ともなっております
度重なる火災や震災などにより初期の堂宇は焼失、再建された本堂や庫裡も老朽化が進み、現在では一見お寺には見えない近代的なビルになっています

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【アクセス】
港区愛宕1‐3‐8
東京メトロ日比谷線神谷町駅3出口から徒歩8分
都営三田線御成門駅A5出口から徒歩10分

五反田エリアのお地蔵さん

五反田周辺を歩いていて何体かお地蔵さんを見つけました

 

中原街道の一角に立っていたのが「子別れ地蔵」

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享保12年(1727)に建てられたというこのお地蔵さんは見ての通り、この地域は第二次大戦の空襲が激しかったという影響もあって現在では損傷や剥落が目立っています
しかし真紅の帽子とよだれかけを付けられ、幾束もの千羽鶴がかけられていることから近隣住民に大切にされているお地蔵さんであることを窺い知ることができます

では何故このお地蔵さんは「子別れ地蔵」と呼ばれているのでしょうか?
それはお地蔵さんの立っている道が桐ヶ谷斎場(かつては桐ヶ谷の火葬場と呼ばれていました)に通じていることと深い関係があります

不幸にも親より先に子が亡くなってしまった場合、特に江戸期では親が火葬場に付き添い、骨を拾うことができない場合があったといいます
ゆえに親はこのお地蔵さんの前で我が子を見送ったのだといいます
それが「子別れ地蔵」と呼ばれるようになった所以です

【アクセス】
品川区西五反田6-22-3

 

次に見つけたのが中原街道供養塔群

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かつては現在の地の北方10メートルの地にあったものが、昭和38年の区画整理で移動してきました
アパートの入り口(敷地内かも?)にあったのでびっくりしてしまいました
建立は江戸中期頃と推測され、中央にあるお地蔵さんは2メートル近くあります
台座には大井・上蛇窪・下蛇窪・馬込・千束・碑文谷・上中延・下中延・小山・目黒・桐ヶ谷・谷山・上大崎・下大崎・居木橋・三ッ木・戸越の17ヵ村の名が連ねられています
また向かって右のお地蔵さんは延享3年(1746)寒念仏供養のためのもの
左手奥には馬頭観音元文元年(1736)造立、その前にある聖観音は石造墓碑で、貞享年間(1684~87)に建てられました

【アクセス】
品川区荏原1-5-10

 

最後に協和地蔵を紹介しましょう

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こちらは西五反田協和会館の玄関脇に祀られていました
施主 内田金太郎氏の祖先が地中に埋没しているのを夢で知り、昭和20年5月24日に掘り起こしてこの地に祀ったものとのこと
その地蔵は中原街道の建設に多くの犠牲者が出た為、その供養に祀られたものではないかとされています

しかし現在祀られているものは、長い年月と第二次世界大戦の戦災などにより損傷が著しいため、以前の新たに建立し「協和地蔵尊」として祀ったものである
(昭和20年頃までは、首のない首なし地蔵を含む六体の地蔵があった)
なおこの近隣の歴史を物語る資料がカプセルに入って協和地蔵尊の下に埋まられており、2032年に掘り起こされる予定となっています

隣にはお地蔵さんへの願いを書いた看板がありました

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【アクセス】
品川区西五反田8-2-10

地蔵菩薩像(長泰寺)

市ヶ谷周辺はあまりお寺がありません
雨の中ようやく見つけたのが長泰寺(ちょうたいじ)というお寺
左内坂というやや勾配の急な坂の途中にあります

長泰寺は曹洞宗のお寺で鳳仙山と号します
仲岸嚴雪和尚が創建(創建年代等は不詳)長龍寺二世心岩舜應和尚(慶長3年1598年寂)を勧請開山し自身は二世となりました

濃紺の山門が印象的

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本堂

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中にはお地蔵さんも

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アクセス
新宿区市谷左内町11
JR,東京メトロ市ヶ谷駅 徒歩5分

 

千躰子育地蔵尊(増上寺)

実はこっそりインスタグラムなんかもやったりしてる訳なのですが
https://www.instagram.com/jizo_bosatsu2017

 

やはりインスタ映えする人気のお地蔵さんというのもあるみたいで、#地蔵 などで画像を投稿してる人気のお地蔵さんってのがある気がします
個人的な感想としては上位3つはこのお地蔵さんだと思います

長谷寺(和み地蔵)
かわいいお地蔵さんの代表格!僕も携帯の待ち受けにしてます、ブログでは未紹介ですが遅くとも年明け早々には記事アップするつもりです

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大原三千院(わらべ地蔵)
苔の生い茂った庭園から顔を出してるこちらもかわいらしいお地蔵さん、まだ未訪問のお寺ですが近々訪れて記事に上げたいと思っています

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そしてもうひとつが増上寺にある千躰子育地蔵尊です
風車と赤いニット帽をかぶったお地蔵さんが延々と連なっている様子は圧巻です

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増上寺は、浄土宗の七大本山の一つで、明徳四年(1393年)酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に創建されました
1470(文明2)年には勅願所に任ぜられ、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。現在の地に移転したのは慶長三年(1598年)です
安土桃山時代徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました
二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所が設けられています。
徳川家康の葬儀が行われたのもここ増上寺です、それは家康本人の遺言に従ってのことです

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江戸時代には全国の浄土宗の宗務を統べる総録所が置かれたり、関東十八檀林(だんりん)の筆頭、主座をつとめるなど、その隆盛は極みに達します
明治六年(1873年)と四十二年(1909年)の二度に渡って大火に会い、大殿が消失するなどの被害もありましたが大正期に整備・復興されました
しかし昭和二十年(1945年)の空襲で再び無と化してしまった増上寺
現在見ることができるものは、焼失をまぬがれた建築物や終戦後に復興されたものとなっています

大門

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大殿

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昭和49(1974年)年、戦災に遭い焼失した本堂が再建
ご本尊は阿弥陀如来

三解脱門

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江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されています
(行った時には一部修復工事中のようでした)

鐘楼堂

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朝と夕の2回鐘の音が聞けるとのこと、現在の鐘楼堂は戦後に再建されたものです。

徳川将軍家墓所 鋳抜門

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埋葬されているのは二代秀忠、五代将軍兄弟の綱重、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の将軍の他、女性では将軍正室として二代秀忠夫人崇源院、六代家宣夫人天英院、十一代家斉夫人広大院、十三代家定夫人天親院、十四代家茂夫人静寛院の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です(増上寺公式サイトより)

安国殿

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元は戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物で、昭和49(1974)年、新大殿完成の折りに境内北側に移転されました
現在の安国殿は平成23(2011)年に新たに建立されたものです

光摂殿

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平成12(2000)年、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成

聖観世音菩薩

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昭和57年に発生したホテルニュージャパンの火災事故で死亡した33名の供養のため建立された被災者慰霊像です

四菩薩像

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普賢菩薩辰年守本尊、ふげんぼさつ)
地蔵菩薩(子育地蔵、じぞうぼさつ)
虚空蔵菩薩丑寅守本尊、こくぞうぼさつ)
文殊菩薩(卯年守本尊、もんじゅぼさつ)

そしてこちらが千躰子育地蔵尊

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子供の健康と成長を願って祀られてあるお地蔵さん
赤いニット帽と風車が色鮮やかです
千躰子育地蔵尊とのことですが、その数はゆうに千体を超えているとのことです
その数の多さには圧倒されてしまいます

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【アクセス】
港区芝公園4-7-35

JR線・東京モノレール 浜松町駅から徒歩10分
都営地下鉄三田線 御成門駅から徒歩3分、芝公園から徒歩3分
都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅から徒歩5分
都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅から徒歩7分
東京メトロ日比谷線 神谷町駅から徒歩10分