お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

鼻の地蔵さん(地蔵鼻)

鼻の地蔵さん(地蔵鼻)

 

広島県尾道市因島の南部にある小さな岬に通称「鼻の地蔵さん」と呼ばれるお地蔵さんがいらっしゃいます。
潮が引くときに現れ、子授け・安産・恋愛成就など女性の願いにご利益のあるお地蔵さんです。
管理人未訪ではありますが、紹介していきたいと思います。

 

※記事内の画像は、無料写真素材「おのみちや」と「尾道まちかど広報室」様から引用させていただきました。画像使用許可を頂きました管理人様には大変感謝申し上げます。

 

【目次】

 

鼻の地蔵さんとは

慶長4年、因島村上水軍の金山亦兵衛泰時は、捕らえた娘の美しさに惹かれ側女にしようとしましたが、応じなかったため殺害しました。
それから毎晩娘の亡霊に悩まされた泰時は、娘を供養するため渚の岩に地蔵尊を彫って手厚く葬りました。
その話を聞いた周防の若者がその娘の後を追い、この海に身を投げました。
その様子を見た地蔵はポロポロと涙を流し、その涙は小石となり周りに散らばったといいます。

 

ご利益

鼻の地蔵さんは潮が引くときに現れます(参拝時間に気を付けましょう)
参道に並ぶ小さなお地蔵さんまたは小石を持ち帰れば、子授け・安産・厄除など、女性の願いが叶うといわれています。

 

地蔵鼻のお地蔵さん


無事願いが成就した際には、持って帰ったお地蔵さんや小石を持ってお礼参りするのが習わしとのことです。

 

鼻の地蔵さんへのアクセス

鼻の地蔵さんへのアクセス

広島県尾道市因島三庄町

 

アクセス方法については「観光なび いんのしま」さんの情報が詳しくて分かりやすかったので、紹介させていただきます。

 

八雲神社(明神社)

また「尾道まちかど広報室」さんの情報によると、一般の自家用車でアクセスする場合は、石田造船さんの横を通る進入路を選ぶべきとのことです。

※上の写真の八雲神社(明神社)に地蔵鼻への案内看板を目印に進入すると石田造船さんの横を通って地蔵鼻へ最短距離でアクセス可能とのこと。

 

 

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開山堂(両大師)のお地蔵さん

開山堂(両大師)のお地蔵さん

 

東京国立博物館に行く途中、隣に未訪のお寺(開山堂・両大師)を見つけました。
寛永寺は訪問済ですが、その開山堂にはまだ行ったことがありませんでした。
基本情報と共に紹介していきましょう。

 

【目次】

 

開山堂(両大師)の基本情報

開山堂(両大師)は天台宗のお寺で、山号は東叡山、寺号は輪王寺
明治二年寺号は廃止されたが、明治十六年に復活するとともに門跡の公称が許可されました。
門跡とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院を指します。

 

ちなみにその名前(両大師)の由来は、天海大僧正慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)の両者を祀っていることに由来します。
創建は正保元年(1644)で当初は、前年に亡くなられた天海大僧正のみを祀る開山堂でした。

 

山門

山門

 

手水舎

手水舎

 

本堂

本堂

 

現在のお堂は平成五年に再建されたものです。

 

阿弥陀堂

阿弥陀堂

 

開山堂(両大師)のお地蔵さん

地蔵堂のお地蔵さん

地蔵堂

 

地蔵堂の中には、立像、座像の二体のお地蔵さんが安置されていました。

 

お地蔵さん

 

阿弥陀堂のお地蔵さん

阿弥陀堂のお地蔵さん

 

中央には阿弥陀如来坐像、向かって右側には阿弥陀如来坐像、左側には地蔵菩薩立像が脇侍のような配置で安置されていました。
大きさの比率がアンバランスなのは、元は別の場所に安置されていたからとのことです。

 

kaisando.kaneiji.jp

 

開山堂(両大師)へのアクセス

東京都台東区上野公園14-14 開門時間・閉門時間 : 午前8時〜午後4時

 

 

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快慶作のお地蔵さん(藤田博物館)

木造地蔵菩薩立像

画像引用:藤田美術館快慶作の地蔵菩薩

 

快慶は鎌倉時代初頭に活動した仏師です。
同じ流派(慶派)の巨匠として運慶がおり、共作である東大寺南大門の金剛力士像の印象が強いが、その作風には違いがあります。
運慶は力強く荒々しい表現が特徴である一方、快慶は繊細で優美な表現が特徴的です。
作風的には快慶の方がお地蔵さんとの相性が良い気がしますが、その手によって生まれたお地蔵さんはあまり多くないみたいです。

 

【目次】

 

藤田美術館地蔵菩薩

藤田美術館とは

藤田美術館大阪市都島区網島町にある美術館です。
明治時代に活躍した藤田傳三郎と息子たちによって作られました。
彼らは、大名旧家や寺社に伝わる文化財が海外に流出したり、国内で乱雑に扱われることに危機感を抱きました。
傳三郎は実業家でありながら美術品の愛好家でもあり、美術品の収集を通じて国の宝を守ることを決意しました。
彼の想いは息子たちに受け継がれ、1954年に藤田美術館が開館しました。

 

快慶作の地蔵菩薩

快慶作の地蔵菩薩

画像引用:藤田美術館「快慶作の地蔵菩薩

 

藤田美術館に収蔵されている快慶作の地蔵菩薩は、木造で高さは約60㎝。
1208年~1227年頃の間に造られたと考えられています。
目はガラスを嵌め込んだ玉眼となっており、光背は金属製でこの地蔵菩薩のために作られたものではなく、他の像(文殊菩薩であろう)からの転用と言われています。

 

日本画と同じような顔料で彩色され、非常に色鮮やかな地蔵菩薩です。
驚くべきことに修復などで塗りなおしておらず、彩色は当時のまま残っています。
これは厨子に入っていたことが理由であると考えられています。

 

雲の上に蓮台があり、その上に立っており、雲に乗って飛ぶ姿を表現しています。
このことは空を飛ぶような前傾姿勢になっていること、横から見ると棚引く雲の尻尾が見えることからも分かります。

 

また明治39年に奈良の興福寺にあったことが分かっています。
藤田美術館に渡った正確な経緯は不明ですが、廃仏稀釈で荒廃した興福寺が、復興を目指して破損仏を売却した中に含まれていたと言われています。

なおこの地蔵菩薩重要文化財に指定されています。

 

この記事の作成にあたって、ウェブサイトからの画像引用の許可を頂きました。
藤田美術館のスタッフの方に心より感謝申し上げます。

 

藤田美術館へのアクセス

大阪市都島区網島町10-32
JR東西線 大阪城北詰駅より徒歩1分
京阪電鉄 京橋駅より徒歩10分
大阪メトロ長堀鶴見緑地線京橋駅より徒歩7分

 

fujita-museum.or.jp

 

快慶作のその他の地蔵菩薩

藤田美術館地蔵菩薩以外に快慶が作った地蔵菩薩

 

 

などあまり数は多くありません。
参考「快慶」ウィキペディアページ

 

 

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