谷戸の閻魔大王・延命地蔵尊の由緒
江戸時代、東海道の品川宿と川崎宿の中間に位置する東・西・北の大森村の中に「谷戸宿立場」と呼ばれた地域があり、馬繋ぎ場や水飲み場があって、人足や旅人が休息する場所で「間の宿」とも呼ばれていた。
現在はバス停留所に「本宿」という名をとどめている。
この谷戸の地に「四日講」の庶民信仰がいつの時代から生まれたのか、記録は残っていない。
堂内のお地蔵さまには、寛文五年(1665)の銘があることから、凡そ340年もの間、ここにお祀りされていたことになる。
閻魔大王像には製作年代の明記はないが、像の古さから推測すると、古き時代からこの地に安置されたものと思われる。
340年もの間、幾多の戦火や災害を乗り越えて、損傷はあるものの、歴史が刻み込まれた像には、慈悲の微笑を感じてならない。
人が亡くなって49日間を中陰という。
57日に当たる35日、亡者は閻魔大王の審判を受け、お地蔵さまのご慈悲におすがりして、仏の道を一歩一歩浄土にへ近づくのである。
平成16年6月、第一京浜国道の拡幅に伴い、お堂を新築いたし、二像を東方に向けて安置した。
それに伴い地蔵尊が激しく痛んでいた為、平成18年12月に修復した。
長年親しまれてきた「四日講」の講名を、お地蔵さまと閻魔さまが共に、中陰の57日忌の仏さまであることから「57日講」と改めた。
乞い願わくは、末永く国家安穏、万民和楽、谷戸の人々の子孫繁栄を祈念するものである。平成18年12月吉日
57日講
本宿会 有志
延命地蔵尊
閻魔大王
お堂が閉じられていたので、隙間から撮影しました。
春と秋に行われるお祭りの際には、開帳されるみたいです。
谷戸閻魔地蔵堂へのアクセス
東京都大田区大森西5-27-7