お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

関のかんかん地蔵

地蔵祠

 

練馬区関町の青梅街道沿いには「関のかんかん地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが立っています。
かんかん地蔵というと、浅草寺北千住の安養院にも同名のお地蔵さんがいました。
関のかんかん地蔵はどのような由来があるのでしょうか?

 

【目次】

 

関のかんかん地蔵とは

関のかんかん地蔵

 

練馬区教育委員会掲示に関のかんかん地蔵の説明書きがありました。
以下引用します。

 

『新編武蔵風土記稿』に石地蔵像 像長六尺青梅道の北側に立り、關の地蔵と云、祈願をなすもの石にて打は、かねの音あるをもてかんかん地蔵とも云」とあります。
「生きとし生けるものの命を育み、迷いや苦しみを除いてくれる」お地蔵さまは、特に子供の御本尊として信仰されてきました。
このお地蔵さまは江戸時代中頃に造立されたと思われますが、石で叩けば願い事がかなうといわれ、長い間叩かれてきたために足もとが細くなり、最近補修されました。「かんかん地蔵」というのは、この叩いた時の音からきたものです。
右側には享保十四年(一七二九)の胎蔵大日如来、左側には寛保元年(一七四一)の勢至菩薩がお地蔵さまをはさんで立っています。

 

なるほど「かんかん」とは石でお地蔵さんを叩いた時の音だったのですね。
現在は近くのお寺「三宝寺」が管理しているとのこと。

 

胎蔵大日如来

胎蔵大日如来

 

勢至菩薩

勢至菩薩

 

関のかんかん地蔵にまつわるお話

練馬わがまち資料館というサイトに中村テツさんという方が語った関のかんかん地蔵にまつわるお話が公開されています。
とても良い話なので、こちらも引用して紹介したいと思います。

 

この辺りの方で、朝早くか、夜になって人通りが少なくなった頃、お地蔵さまをお参りに来られる方があります。
 お名前は存じませんが、この方がある日、私の所へ来られ、「いつもご親切に供養しておられ、同じ信心する者として、本当にうれしいことです。
これは、その気持ちです」とおっしゃって、封筒を置いて行かれました。開けてみると10万円入っていました。
これは大変と思い、叔父に話して、お寺のご住職さんにお届けしますと、ご住職さんも驚かれ、「どうしたらよいと思いますか」と、お尋ねになります。
それでは、お地蔵さまの足を修理していただければと、お願いしましたところ、ご住職さんは急いでお手配くださり、職人さんがみえて、コンクリートで修理しました。
 それからしばらくしたころ、あの封筒の方がまたおいでになり、厚くお礼を申され、どうしてもとおっしゃって、今度も封筒を置いて行かれました。
これは20万円入っていました。そこで近所の檀家(だんか)総代の方にお届けしますと、早速ご住職さんと相談くださり、今のお堂が新築されることになりました。
その折、ご住職さんの手で手厚く供養が行われました。

 

関のかんかん地蔵へのアクセス

練馬区関町南1丁目18番先

 

 

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