前の記事で泉龍寺別院のお地蔵さんを紹介しました。
本家「泉龍寺」でも珍しいお地蔵さんと出会うことができました。
【目次】
泉龍寺の基本情報
泉龍寺は曹洞宗のお寺で、山号は雲松山。
天平神護元年(765年)良弁(ろうべん)僧正が法相宗・華厳宗兼帯の寺を創建したのが泉龍寺のはじめとされています。
本尊は釈迦如来。
山門
安政6年(1859年)に再建。
平成18年(2006年)修理し銅板葺となりました。
手水舎
本堂
宝永3年(1706年)再建。
昭和35年(1960年)大改修によって瓦葺となりました。
鐘楼
弁財天池
泉龍寺という寺名の由来にもなっています。
泉龍寺で出会ったお地蔵さん
延命子安地蔵尊
和泉の泉龍寺の延命子安地蔵尊は、まわり地蔵としてよく知られていた。
江戸時代の半ば頃から、この地蔵尊は、江戸や多摩の各地の信者の家を宿にして、巡行(じゅんぎょう)を続けていた。通称は子育地蔵さん。
巡行先では和泉の地蔵さん、世田谷の地蔵さん(江戸時代には世田谷領だったので)、まわり地蔵、荷送りの地蔵、一夜地蔵などと呼ばれていた。
今では、いつも寺の本堂に安置されているが、昭和十八、九年頃までは、月の二十五日から翌月の二十二日まで、各地の講中の家々をまわっていたのである。巡行先は月ごとに決まっていて、例えば、江戸時代から三月講中の名でも呼ばれる練馬・十條の講中には、三月から四月、「送り込み」のいちばんにぎやかな立川・小平方面の講中への巡行は、十月から十一月であった。
厨子(ずし)に入ったお地蔵さんは、しょいこで背負われていくこともあったが、大八車に似た小型の黒塗りの車で運ばれた。
巡行の間、寺では「お留守番」と呼ばれる一体の地蔵尊が、留守居役を務めていた。
和泉の地蔵さんのお宿をすると、子どもが丈夫に育つとか、子どもが授かるとかいわれ、子どもの弱い家や子どもの欲しい家などでも宿をした。
地蔵尊を迎えた宿の家では、近所の子どもたちにぼた餅など振る舞ったり、おばあさんたちが百万遍のお念仏をしたりするところもあった。
二晩泊めるとお地蔵さんが泣くといわれ、どこでも一夜限りで、次の宿へと送っていく。
「延命子安地蔵尊」と書いた赤や白の旗を立て、到着を知らせる鉦(かね)をカーンカーンとたたきながら行列をつくっていった。
二十三日には、送り込みといって、巡行先の講中の人たちが地蔵尊を泉龍寺へ送り込み、この夜は寺でお籠(こも)りをする。
この日の午後から翌二十四日の縁日には、寺の境内に露店が出て、特に十一月には、たいそうなにぎわいであった。
送り込みの夜には、寺では演芸などもあり、近所の子どもたちも、それは楽しみなものだった。
廻り地蔵とは江戸時代に全国的に流行った風習で、いつかは記事にしなければと思っていたのですが、まさか廻り地蔵で巡行していたお地蔵さんと出会えるとは!
泉龍寺へのアクセス
東京都狛江市元和泉1-6-1
小田急小田原線「狛江駅」北口より徒歩1分
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