廻り地蔵は、一体の地蔵を家から家へと順次に送り、滞在中はその家だけで祭る民俗行事です。
このような変わった風習はどのように生まれたのでしょうか?
解説していきたいと思います。
【目次】
廻り地蔵とは
廻り地蔵とは、お地蔵さんを背負って町内の家を順番に回していく風習です。
16~17世紀にはじまり江戸時代に全国的に流行った風習で、子どもの成長や家内安全、長寿息災などを祈願するものとなっています。
廻り地蔵の風習が残る地域は?
今でもこの風習が残っている地域があります。
下飯田地区での廻り地蔵
神奈川県横浜市泉区下飯田地区の保国寺では、1762(宝暦12)年、地蔵尊大像(親地蔵)と小さな地蔵(廻り地蔵)100体が作られました。
後部に背負いひもがついている背負い式のお堂の漆塗りのお厨子には、赤ん坊を左手に抱いて蓮華台にすわった高さ18cmほどの木造の地蔵尊が安置されています。
この小さな地蔵(廻り地蔵)を背負って地域内の家を順番に廻し、それぞれの家で数日間祀ってお参りする風習です。
お地蔵さまを迎えた家では、毎日、お茶やご飯、お寿司屋おだんごなどをお供えし、線香をあげます。
現在では、時には車を利用しながらも下飯田地区(上飯田町の一部を含む)の十五石、杉の木、本郷、元木の旧農家を中心に90戸ほどを2年ほどかけて回っているとのこと。
神奈川県では他にも藤沢市、大和市、秦野市、伊勢原市などで残っており、2013(平成25)年、横浜市無形民俗文化財に指定されています。
神奈川県の廻り地蔵については、はまれぽ.comさんの記事に詳しく書かれています。
今井の廻り地蔵
埼玉県の熊谷市でも廻り地蔵の風習が残っています。
今井にある浄業庵(じょうごあん)のお地蔵様を担いで列を成し、今井の各字(あざ)を廻ります。
念仏を唱えて子どもの成長や家内安全、長寿息災を祈願する廻り地蔵の行事が1月と8月に行われます。
お地蔵様が安置されるそれぞれの家を「お宿」と呼び、そこでは来客者にお祝いの料理が振舞われます。
今井の廻り地蔵は、熊谷市指定無形民俗文化財に指定されています。
羽生市の廻り地蔵
同じく埼玉県羽生市本川俣でも、お地蔵様を背負って檀家を回る「廻り地蔵」が260年以上続いています。
本川俣地区の103軒の家を約1年かけてお地蔵さんがまわります。
各家で数日滞在し、次の家まで背負って届けられます。
このお地蔵さんは浅草の僧侶、松阿(しょうあ)上人が、洪水で被災した犠牲者の供養と村の平穏無事を祈ろうと、江戸市中から寄付を集め作ったとされています。
普段は秘仏となっていますが、本川俣の千手院の地蔵祭り(毎年8月23日)で御開帳されます。
こちらもまた羽生市無形民俗文化財に指定されています。
かつて廻り地蔵の風習があった地域
一方でかつて廻り地蔵の風習があったが、現在では行われていない地域も存在します。
ここでは詳細を記しませんので、関心のある方はリンク先の記事を読んでみてください。
大和市福田
和歌山県田辺市(秋津川)
廻り地蔵の発祥は?
保国寺は廻り地蔵の風習の元となったと考えられ、お寺のある伊勢原市では、市役所を中心として盛んに研究が行われているとのこと。
伊勢原市三ノ宮の曹洞宗保国寺で安永年間(1772~1780)ごろ、11孝戒和尚によって百体の回し地蔵がつくられ、相模国百ヵ所村に配った記録があります。
保国寺には百体の元となる丈六のおや地蔵は、残念ながら廃仏毀釈で失われ、現在は代わりの木像の地蔵尊が安置されています。
動画の冒頭では、古くから数多くの修行僧などがそれぞれ信仰する仏像や仏具を背負って全国を行脚し、伊勢原市にある大山を訪れており、その風習がこの地の人々に根付いたのではないか推測しています。
地蔵信者の筆者としては、廻り地蔵の風習がある地域に生まれたかったと思ってしまいます。
(引っ越ししたらお地蔵さんは回ってくるのでしょうか??)
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