そのお地蔵さんは錫杖の代わりにバットを、如意宝珠の代わりにボールを持った実に風変わりなお地蔵さんでした。
一体どういった理由でホームラン地蔵が誕生したのでしょうか?
そこには世界のホームラン王が関連していました。
【目次】
ホームラン地蔵はなぜバットとボールを持っている?
ホームラン地蔵が建てられた背景には、王貞治さんと少年との出会いがありました。
それは王選手がまだ新人だった頃の話です。
駒沢球場で行われた野球の試合で、王選手が打ったボールが少年に当たって怪我をさせてしまいました。
その怪我をした少年は岩崎和夫という名前の少年でした。
少年の入院していた病院を見舞った王選手は、少年の母親から和夫少年は野球が大好きだけど、心臓に病を患っており自分で野球をすることは叶わない状況であることを聞かされます。
そこから王選手と少年の交流が始まりました。
毎月少年のもとを訪ねるうちに、少年を励ましているつもりが自分が逆に励まされていることに気づかされました。
王選手は健康で野球ができるという感謝を少年から教えられたのです。
しかし和夫少年は13歳でその短い生涯を閉じてしまいました。
亡くなる前日にも病院にお見舞いに来ていた王選手は「さよなら、さよなら」という少年の最後の言葉を聞いたのだといいます。
このボールとバットを持ったお地蔵さんは、このような少年と王選手との交流の中から生まれたものだったのです。
その後ホームラン王となった王選手は、記録を更新するたびにこのお地蔵さんを訪れたのだといいます。
世界記録を更新する試合には、少年の母親と妹を招待しています。
いつしかこのお地蔵さんはホームラン地蔵と呼ばれるようになり(正式名称は和夫地蔵尊)、野球少年がお参りに来るお地蔵さんとして広く知られるようになりました。
海徳寺の基本情報
海徳寺は日蓮宗のお寺で、山号は自覚山、院号は松陽院。
大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺にしたのが始まりです。
開山は松陽院日増、本尊は三宝祖師像。
冠木門
参道
本堂
海徳寺で見つけたお地蔵さん
ホームラン地蔵以外にも何体かお地蔵さんを見つけました
三体並んだお地蔵さんは、向かって左側が水子地蔵、右側が誠和地蔵と呼ばれるお地蔵さんでした。