東京都荒川区南千住に所在する円通寺は、由緒ある曹洞宗の寺院です。
その静かな境内には、悲しい出来事を記憶する吉展(よしのぶ)地蔵が、訪れる人々の心を深く捉えます。
この地蔵尊は、痛ましい事件の記憶とともに、円通寺の豊かな歴史を伝える存在と言えるでしょう。
古刹・円通寺の歴史 - 坂上田村麻呂が開いたと伝わる寺
円通寺は、伝承によれば791年(延暦10年)に坂上田村麻呂によって開かれたとされています。
山号を補陀山と称し、本尊は聖観音菩薩です。
この聖観音菩薩は、聖徳太子の一刀三礼による御作とも伝えられています。
境内には、八幡太郎義家が奥羽征伐の際に討ち取った賊の首を埋めたとされる四十八首塚があり、この地がかつて「小塚原」と呼ばれた由来の一つとも言われています。
江戸時代には、三代将軍徳川家光が放鷹の際に円通寺の松に鷹が止まったことから「鷹見の松」と名付けられたという逸話も残っています。
また、円通寺は明治維新の上野戦争において、彰義隊の戦死者を火葬し、手厚く供養した寺としても知られています。
その縁から、上野寛永寺の総門であった黒門が明治40年(1907年)に帝室博物館より下賜され、現在も境内に移築されています。
この黒門には、上野戦争の激しさを物語る弾痕が数多く残されています。
寺号標

本堂

聖観音像

本堂の屋上には全長12メートルの大きな聖観音像が!
忘れられない悲劇 - 吉展ちゃん事件と吉展地蔵

円通寺の名が広く知られるようになった背景には、1963年(昭和38年)に発生した「吉展ちゃん誘拐殺人事件」があります。
当時4歳だった村越吉展ちゃんが誘拐され、2年後の1965年(昭和40年)7月、円通寺の敷地内の墓地から白骨化した遺体で発見されました。
この痛ましい事件は社会に大きな衝撃を与え、人命尊重の観点から報道協定が初めて行われるなど、その影響は甚大でした。
事件後、円通寺には吉展ちゃんの供養のために「吉展地蔵」が建立されました。
子どもを抱いた大きな地蔵菩薩の像は、悲劇の記憶を伝え、二度とこのような事件が起こらないようにとの人々の願いを象徴しています。
南千住駅前にある小塚原回向院の入り口にも同名のお地蔵さんが存在します
六地蔵尊

円通寺に息づく数々の文化財
円通寺の境内には、黒門や吉展地蔵の他にも、数多くの文化財が残されています。
- 彰義隊戦死者の墓(都史跡):上野戦争で亡くなった彰義隊士たちが眠る墓所です。明治37年(1904年)には榎本武揚によって墓石が建立されました。
- 旧上野の黒門(区指定):上野寛永寺の表門で、上野戦争の激戦を伝える弾痕が残ります。
- 板碑4基(区指定):永仁四年(1296年)銘のものなど、鎌倉時代末期の紀年銘を持つ貴重な板碑です。
- 石造七重塔(区指定):享保7年(1722年)銘を持ち、寺の由緒を刻んでいます。

- 彰義隊関係追弔碑群(区指定):旧幕臣たちによって建立された墓碑など、彰義隊・旧幕臣関係の石造物群です。
- 庚申塔1基(区登録):宝永三年(1706年)銘を持つ庚申塔です。
これらの文化財は、円通寺が歩んできた長い歴史と、様々な人々の思いを伝えています。
円通寺へのアクセス
- 所在地: 東京都荒川区南千住一丁目59番11号
円通寺は、歴史的な出来事と人々の祈りが深く結びついた場所です。
吉展地蔵の静かな佇まいの中に、事件の悲しみと、未来への平和な願いを感じることができるでしょう。
南千住を訪れる際には、ぜひ円通寺に足を運び、その歴史と祈りに触れてみてください。
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