幡ヶ谷周辺でお地蔵さん探しをしてきました
まずは笹塚から幡ヶ谷方面に向かう首都高沿いで見つけた「牛窪地蔵尊」
牛窪地蔵尊は約260年前(正徳元年拾月)に建立されました。
以前この地は極悪人の刑場として牛を使って、最も厳しい牛裂きの刑という両足から股を引き裂く酷刑場の地であったと伝えられています。
このことと2006年にこの付近で起こったバラバラ殺人事件のせいで、このお地蔵さんを心霊スポットとするネット上の情報もある
しかしそれは正しい情報ではありません
このお地蔵さんは宝永より正徳年間にかけてこの地に悪疫病がはやり、これが罪人の霊のたたりだと伝えられ、子供の安泰を守り苦難の時の身代わり地蔵として
この淋しい土地に立てられその霊を慰めたからです。
刑に使用された牛と窪地であったことから牛窪の地名となり、牛窪の地名と共に幡ヶ谷地方の雨乞い行事の場所としても有名でした。
隣にある道供養塔は中野通りから甲州街道につきあたりの場所で道しるべとしてもわかり易く、当時行路者の行き倒れが非常に多く、篤志家によって建てられたものです。
これは橋供養と同じように、道路自体を供養して報恩感謝の念を捧げることにより、交通安全を祈ろうとする全国でも珍しい供養碑です。
【アクセス】
東京都渋谷区笹塚1-52-12
京王線笹塚駅より徒歩8分
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続いては「酒呑地蔵尊」のいらっしゃる清願寺
僕も毎晩晩酌は欠かさないので、何となく親近感を覚えてしまいます
ではこのお地蔵さんは何故酒呑地蔵と呼ばれているのでしょうか
それは次のような言い伝えがあるからです
「むかし四谷伝馬町に住む中村瀬平という若者は、わけあって家を出て幡ヶ谷村の農家に雇われて農作業などをして働いていました
瀬平の勤勉さに感心した村人が31才になった正月に彼を招いて御馳走したところ、普段は飲まない酒を飲んだせいで酔って川に落ちて水死してしまいました
瀬平は村人の夢まくらに立って「この村でお酒に苦しむ人を救うために地蔵を造ってほしい」と願いました
さっそく村人は一体の地蔵を建立し、酒呑地蔵としてお祀りしてきました」
この酒呑地蔵は元々本町5丁目の地蔵橋のたもとにありましたが、平成23年に清願寺に移転、が開眼供養が行われました
毎年8月には地蔵祭りが行われているようで、その際には曲芸や獅子舞、紙芝居など周辺の住民が参加できる催し物が開催されています
清願寺は浄土宗のお寺で、元々は参宮橋付近にありました
ところが寺地が代々木練兵場に編入されることとなった為、明治42年に当地にあった法界寺を吸収合併
法界山清願寺と改号しました
山号 | 法界山 |
寺号 | 清願寺 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建 | 寛永元年(1624年) |
開山 | 専蓮社覚誉呑了 |
山門
本堂
元々あった本堂は東京大空襲にて消失、現在の本堂は昭和26年千葉県岩井市にあった民家を移して改築したものである
瘡守(かさもり)稲荷社殿
法界寺の瘡守稲荷として昔からある神祠、お祈りすれば腫物・瘡に効き目があるとのこと
浄霊殿
幡ヶ谷聖観世音菩薩
魚藍観音
三十三観音の一つ
中国の観音信仰で生じた姿で、魚藍を持つものと大魚にのる像がある
こちらは小さな7体の地蔵・・
と思いきや隣に大きめのお地蔵さんが立っていました
しあわせ地蔵
第44世順誉徳正上人が名付け、昭和58年に壇徒から寄進されたお地蔵さんです