板橋区の大谷口周辺で何体かお地蔵さんを見つけることができました
まずは豊島区と板橋区の境にある都道420号線沿いにあった十本塚地蔵尊
こちらについては色々と調べてみましたが、詳しい情報を得ることができませんでした
そこから一本道に入って「西光寺」の近くで見つけたのが、こちらのお地蔵さん
このお地蔵さんに関しても詳細情報を得ることができませんでした
後日何か新たに分かったことがあれば追記していきたいと思います
さて今回の目的地は、代かき地蔵がいらっしゃる真言宗のお寺「西光寺」です
西光寺は当地の大野清右衛門が観音堂に田畑を寄進して、堂宇を建設したのが始まりだとされています
代かき地蔵は室町時代に制作されたとされる区内最古の石地蔵で、板橋区登録有形民俗文化財に登録されています
なぜ代かき地蔵という名前がつけられているのでしょうか?
それにはこのような言い伝えがあるからです
ちなみに代かきとは「田植えのために、田に水を入れて土を砕いてかきならす作業」という意味です
その昔大谷口村に仏さまを深く信仰していたお百姓さんがいました
明日が田植えとなっているので、その日は懸命に代かきを行っていましたが、半分も終えないうちに辺りは真っ暗になってしまいました
「明日の田植えはどうしよう・・」と途方に暮れていたところに若いお坊さんが近づいてきました
「何かお困りのことがあるのですか?代かきが終わらなかったのですか?」
そうお百姓さんに話しかけると、どこかに立ち去ってしまいました
あくる日に起きて田んぼを見て、お百姓さんはビックリしました
朝日がさんさんと代かきが完了した田の面を照らしていたからです
そして田んぼの泥が点々と丘の草原へと続いていることに気が付きました
泥の後は丘の小さなお堂まで続いていました
不思議に思いながらお百姓さんがそのお堂の扉を開けると、中に立っているお地蔵さんは腰まで泥だらけになっていました
お百姓さんはお地蔵さんが一晩中代かきをしてくれたに違いないと、涙を流して感謝しお礼を言いました
それから大谷口村の人々はこのお地蔵さんを「代かき地蔵尊」として崇めるようになったのです
お寺の北を通る大谷道の坂は「地蔵坂」と呼ばれ、えんが堀にかかる橋は「地蔵橋」と呼ばれていました
当初地蔵坂途中にある「氷川神社」に祀られていましたが、戦前にこちらにお寺に移されました
山号 | 宝樹山 |
院号 | 盛徳院 |
寺号 | 西光寺 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 正観音像 |
その他 | 豊島八十八か所霊場八十番札所、板橋七福神布袋尊 |
山門
お地蔵さん
石仏群