お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

子育地蔵尊(火伏せ地蔵)江戸川橋

地蔵通り商店街と聞くと、真っ先に思い浮かぶのが巣鴨の地蔵通り商店街

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

しかし地蔵通り商店街と呼ばれる商店街は他にも存在します
子育て地蔵尊のいる江戸川橋通りもまた、地蔵通り商店街と呼ばれています
商店街は300メートルほど続き、肉屋や八百屋など庶民的なお店が約70店舗ほど立ち並んでいます

共通するのは商店街に面し、利用する住民たちに愛されているという点です

江戸川橋 地蔵通り商店街


祠に入って丁寧に保存されています

江戸川橋 地蔵祠

 

江戸川橋 子育て地蔵尊の看板

 

江戸川橋 子育て地蔵尊の看板

子育地蔵尊(火伏せ地蔵)とは

この子育て地蔵尊は明治の始めにいずこから流れてきて、この地にとどまってきたと言われています
やさしいお顔の尊像に接した里人がこの地にお祀りして以来、戦災や大火にこの地が見舞われないことから別名「火伏せ地蔵」とも呼ばれています

江戸川橋 子育て地蔵尊

たしかにやさしいお顔をされています

江戸川橋 子育て地蔵尊


たくさんの花やお供え物があり、地元の人に敬われているということが分かります
延命講をつくりこのお地蔵さんをお守りしているとのことです

子育地蔵尊(火伏せ地蔵)へのアクセス

文京区関口1-7-4

東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅より徒歩3分

淀橋咳止地蔵尊(北新宿)

咳止め地蔵とは

咳止め地蔵と呼ばれるお地蔵さんは全国各地に存在します
その名の通り、咳止めにご利益のあるお地蔵さんです
西新宿駅近くに淀橋咳止地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんが立っていると知り、行ってみました
そういえば100体以上お地蔵さんを見てきましたが、咳止め地蔵と名の付くお地蔵さんは初めてです

淀橋咳止地蔵尊への行き方

丸の内線「中野坂上駅」から「西新宿駅」方面へ
神田川を渡り、淀橋交差点を青梅街道沿い(「西新宿駅」方面)ではない302号線の方へと進むと、道路に挟まれた三角形の土地にお地蔵さんの祠がありました

東京都新宿区北新宿2-1

東京メトロ丸の内線 西新宿駅より徒歩7分

淀橋咳止地蔵尊を発見

大きなお地蔵さんと隣に小さなお地蔵さんも立ってました
この時は黄色い衣装を着ていましたが、衣装は何種類かあるみたいで、ネットで調べると様々な色の衣装を着たお地蔵さんの姿を見ることができます
祠にはお供え物がしてあり、きれいに清掃がなされていることから、地域の住民に愛されていることが分かります

淀橋咳止め地蔵尊

淀橋咳止地蔵尊

淀橋咳止地蔵尊の歴史

淀橋咳止地蔵尊落慶
淀橋咳止地蔵尊は、宝永5年(1708)10月24日に建立されたときく。以前は、北新宿2丁目201番地2にあった。
平成18年の東京都市街地再開発事業道路拡幅工事に伴い、土地所有者の寄進をえて、地蔵講がこの地に移築したものである。移築にあたって、土地は巴会館と共に柏木総鎮守鎧神社境内とし、ご尊像とお堂をそのまま移した。
この大事業に、ご厚情をお寄せくださった鎧神社とご尽力された方々に深甚なる謝意を表し落慶法要を営む。

 

祠にあった看板より引用しました
しかしなぜ咳止め地蔵と呼ばれているのかの由来が分からなかったのが残念です

目青不動尊(最勝寺)

そういえば、まだ江戸五色不動巡りを回りきってないことに気がつきました
残りの五色不動巡りをしようと、この度三軒茶屋駅近くにある目青不動尊に訪れました
江戸五色不動についてはこちらの記事に書いてあります

jizo-bosatsu.hatenablog.com

最勝寺の基本データ

最勝寺天台宗のお寺です
山号は竹園山、院号は教学院
本尊は源信(恵心僧都)が創ったとされる阿弥陀如来


当初は山王城琳寺の末寺であったが、小田原城主・大久保加賀守忠朝の菩提寺となるに及び、東叡山寛永寺末寺となりました

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有名な目青不動尊は礼所本尊となっています
関東三十六不動尊霊場の十六番ともなってます

最勝寺の歴史

応長元年(1311)玄応和尚により江戸城紅葉山付近に創建 諸説あり
康正3年(1457)江戸城築城のため麹町貝塚に移転、その後さらに赤坂三分坂青山墓地近辺)へ移転
慶長9年(1604)青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転


百人町はその名の通り、百人の同心が住んでおり、そのうち三十七人が教学院の檀家に、六十三人が信者になり念仏講を結んでいたといいます
この講の維持に一人三合宛の米を奉納していたので「三合山」とも呼ばれ親しまれていました。この佛米拠出により閻魔堂(現在の不動堂)が建立され、双盤念仏が盛んに行なわれていました。


明治42~42年(1909~1911)太政官布告により現在地に移転
明治15年(1875)当時麻布谷町(現・港区六本木一丁目付近)にあった観行寺が廃寺、伴って本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が最勝寺に遷された。

三軒茶屋 最勝寺 山門

三軒茶屋 最勝寺 山門

山門

三軒茶屋 最勝寺 不動堂

三軒茶屋 最勝寺 不動堂

不動堂
目青不動尊を見ることはできませんが、不動堂をのぞき込むと、もう一体の不動様(前立の不動明王像)をうす暗い中見ることができるでしょう


特筆すべきは、不動明王像の右脇侍として閻魔大王が安置されているということ
お地蔵さんと閻魔大王は同一視されています

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目青不動尊とは

残念ながら目青不動尊は、秘仏となっており見ることができません
天上界と地上界の間にたなびく青い空の色に基づく不動尊であることから、その名前が付けられたといわれています


慈覚大師円仁によって作られたとされており、天と地の連絡をしてくださる不動尊で、縁結びのご利益があるそうです

三軒茶屋 最勝寺 教学院

教学院

最勝寺にある著名な建造物など

  • チシャノキ(樹齢100年以上の巨木で世田谷区の銘木百選にも選ばれている、青山からの移転の際には荷馬車で運ばれました)
  • 小田原藩大久保氏・荻野山中藩(駿河松長藩)大久保氏・烏山藩大久保氏の歴代藩主の墓
  • 獣魂塔

三軒茶屋 最勝寺 獣魂塔

お地蔵さんも何体か見つけることができました

三軒茶屋 最勝寺 お地蔵さん

三軒茶屋 最勝寺 地蔵菩薩

最勝寺で行われている行事

お釈迦様を生花で飾り、ガクアジサイの葉を煎じた甘茶をかけたりするそうです

最勝寺へのアクセス

世田谷区太子堂4-15-1

東急田園都市線世田谷線 三軒茶屋駅より徒歩4分