お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

地蔵菩薩像(泉岳寺)

泉岳寺曹洞宗の寺院で慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立しました
寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の場所に移転しました
曹洞宗の江戸三ヶ寺(青松寺・総泉寺と泉岳寺)として曹洞宗の行政面の一翼を担っていたという歴史ある寺院です

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赤穂事件で有名な浅野長矩赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れます
しかし例によって赤穂浪士には全く興味のない僕は、境内にお地蔵さんがいないかどうかだけを手短に確認して去ることとなりました

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境内は広く四十七士の墓所は出入り自由なのに対して、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」は有料となっています(大人 500円/中高生 400円/小人(10歳以上)250円)

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こちらが本堂、ご本尊は釈迦如来、他に曹洞宗の宗祖である道元禅師・瑩山禅師のほかに大石内蔵助の守り本尊である摩利支天(秘仏)などが納められています

アクセス
東京都港区高輪2-11-1
最寄り駅:都営浅草線 泉岳寺駅

たくさんのお地蔵さん (高野山 東京別院)

良くあることなのですが
お寺に行ってお地蔵さん探しをしていると、それ以外のことが目に入らなくなってしまい、そのお寺の名所を見落としてしまうことがあります

 

今回訪れた「高野山 東京別院」も入っていきなりみつけたお地蔵さんの大群に浮かれてしまって、四国八十八ヶ所お砂踏みをスルーしてしまいました

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四国八十八ヶ所お砂踏みとは、高野山 東京別院の中にある四国八十八カ所の寺名が刻まれた石碑と石仏
そこでお参りをすれば四国八十八カ所を巡ったのと同じご利益があるのだとか
お砂踏みと呼ばれているのは、四国八十八ヶ所の札所から持ち帰ったお砂を全て納めてあるからです

 

また高野山 東京別院御府内八十八ヶ所霊場の第一番札所でもあります
御府内八十八ヶ所霊場巡拝という四国八十八ヶ所お遍路の写しとして江戸時代の中期に始まった巡拝
八十八のお寺のほとんどが都内23区内にあるというのですから、このお寺だけでご利益を得るのはあまりにもお手軽すぎると思い、かといって四国八十八カ所を巡るのは難儀だと思う人は試してみてはいかがでしょうか?

 

歴史のあるお地蔵さんではなさそうですが、二頭身のお地蔵さんは実にかわいらしい!

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六地蔵も境内の中にいらっしゃいました

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jizo-bosatsu.hatenablog.com

高野山 東京別院とは高野山真言宗、総本山金剛峯寺の別院です
延宝元年(1673年)「高野山江戸在番所高野寺」として建立、現在の名前に改称されたのは昭和2年のことです

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【アクセス】
港区高輪3-15-18
最寄り駅:都営地下鉄 浅草線「高輪台駅
(JR品川駅からも徒歩10分程度でアクセス可能)

幽霊地蔵(子安栄地蔵尊)光福寺

港区高輪にある浄土宗のお寺「光福寺」には幽霊地蔵と呼ばれているお地蔵さんがいます
幽霊地蔵というのはもちろん通称で、正式には子安栄地蔵尊といいます

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ではなぜ幽霊地蔵と呼ばれるようになったのでしょうか?

 

それはこのような言い伝えがあるからです

 

江戸時代、光福寺に近くの二本榎通りの飴屋さんに毎晩赤ん坊を連れた若い女性が買い物に来ていました
雨でも傘も持たずにやって来るその姿を不思議に思った飴屋の主人が女性の後をそっと尾行しました
寺の中に入っていったことを確認した主人は後日、今度は寺の住職と共に女性の後をついていきました
すると女性の姿は消え、地蔵の前に辿り着きました
住職はその地蔵を毎日供養すると、それからパッタリと女性が現れなくなったとのこと

 

この言い伝えと風化したせいで足がやせ細って幽霊のように見えるお地蔵さんの姿が結びついてそう呼ばれるようになったものだと言われています

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子安栄地蔵尊は平成4年に港区の有形民俗文化財に指定されています。

境内の中には石仏も多数確認できました

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光福寺は相福寺と号して創建し、明治13年芝源光寺を合併して名を光福寺と改めました

【アクセス】
港区高輪3-14-30
最寄り駅:都営三田線高輪台駅