普通お地蔵さんというと、路上やお寺の境内で見かける石地蔵を連想しますが、生身の地蔵というのも存在するようです
この生身のお地蔵さんの伝記は全国各地にあるので、いくつか紹介してみましょう
・鳥取県東伯郡琴浦町にある岩船地蔵は、古くから生身地蔵の霊場として知られています
これは8世紀に鳥取に住む明願というお坊さんが「生身の地蔵」を拝みたいと願ったところ夢のお告げで岩船山に登れと言われ、その地で光り輝く生身の地蔵を見たことに由来します
・日本三大地蔵で知られる栃木市岩舟町にある高勝寺は「生身の地蔵尊」を本尊とする天台宗の末寺です
『岩船山 高勝寺』
栃木県下都賀郡岩舟町静3
・平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、そこで生身の地蔵尊を拝して蘇えりました
この話は京六地蔵の記事とも関連がありますので、よかったら読んでみてください
・京都市中京区にある矢田寺の本尊も生身地蔵である、これは閻魔大王に仕えていた小野篁の紹介で地獄を訪れた矢田寺の師・満慶が炎熱地獄で亡者を救出する生身の地蔵に出会って娑婆に帰った後に地蔵菩薩像を造ったことに由来します
・奈良県磯城郡川西町にある「油かけ地蔵」当時この地が水害が多かった為、油を掛けて水をはじくようにと願って造られたお地蔵さん
聖徳太子が斑鳩へ向かう途中休息した際に念仏を唱えたところ、空中に生身の地蔵尊が現れたため、その像を彫ってこの地に安置したとの伝承があります
『油かけ地蔵』
磯城郡川西町吐田788
その他にも今昔物語にはこんな話が書かれています
西の京に住む地蔵信仰者の僧が「生身の地蔵に会いたい」と諸国の霊場を尋ね歩いていました
常陸の国の百姓の家に泊まった際、その家には15,6才くらいの牛飼いに出会いました
その牛飼いの名前は24日の地蔵縁日に生まれたので地蔵丸といい、僧と出会ったその夜のうちに消え失せてしまいました
僧は「実にこれは地蔵菩薩の化身だったのだ」と願いがかなったことを涙を流して喜んだということです
生身の地蔵とはいったいどういう姿をしているのでしょうか?
ちょっと見てみたい気もしますね