徳林庵は臨済宗南禅寺派のお寺で、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉、南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が先祖の人見親王を弔うために1550年に開創しました
山号は柳谷山、本尊は聖観世音菩薩
京六地蔵のひとつ山科廻地蔵(山科地蔵、四ノ宮地蔵とも)が安置されている
山科廻地蔵が安置されている六角堂
(8月22、23日以外は公開されていないようです)
人康親王(第54代・仁明天皇の第4皇子、848年、四品、上総、常陸国の太守、弾正台の長官を歴任)・蝉丸(平安時代前期の歌人・音楽家)の供養塔のそばには石仏も
蝉丸は百人一首の「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」を詠んだことでも知られています
こちらの六地蔵は二頭身でかわいらしい
琵琶を持ったお地蔵さんがいるのは(向かって一番右らしい)人康親王が琵琶の名手だということにちなんででしょうか