お地蔵さんブログ

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延命地蔵尊(大蓮寺(だいれんじ)石川県金沢市)

金沢市野町は寺町となっており、多くのお寺が軒を連ねています
藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められたのが始まりです

今回は大蓮寺という浄土宗のお寺を紹介します
前田利家の四女で宇喜多秀家正室である豪姫の位牌所・菩提寺としても知られているお寺です

 

【目次】

大蓮寺の基本情報

大蓮寺は浄土宗のお寺山号は宝池山、院号は功徳院。
開基は衍連社広誉怒白上人


なお山号の宝池山は道路から見て寺地が下がっていることから、それを池にたとえ、阿弥陀仏の教えを宝の如く満たす池と表したことが由来となっています。

大蓮寺の歴史

大蓮寺は天正11年(1583)加賀藩前田利家荒子七人衆の一人、小塚淡路守秀正が利家公に従って金沢城入城後に、七尾の浄土宗西光寺住職であった衍蓮社広誉怒白上人を招請し、御馬屋町(現在の木ノ新保)に建立されました。
その後当地が御用地になった為、野町に替地を拝領して現在に至ります。

 

なお当山の最初の外護者、小塚秀正は利家公・利長公に仕え、大坂夏の陣には、金沢城代を務めた人物で、当寺の二世は、織田信長の従兄弟の貞安上人である。

 

現在の本堂は文化12年(1815)如来寺の第十八世であった、走蓮社入誉上人が、当山の第十五世として迎えられ再建されたものである。
再建にあたり豪姫菩提の縁で、前田家より松の木五十本を寄進されました。

大蓮寺と豪姫

前田利家の四女で宇喜多秀家正室である豪姫は、生後間もなく豊臣秀吉の養女となり、十五歳で岡山城宇喜多秀家に嫁します
西軍についた秀家は関ヶ原の戦いに敗れ、八丈島に流されてしまいます

 

合戦後、豪姫は金沢に来て余生を送り、寛永11年(1634年)豪姫は金沢城鶴の丸でその数奇な生涯を閉じます
葬儀は家臣であった中村刑部、一色主善輝昌ら多くの有縁の人々によって大蓮寺で行われました。

 

平成6年には墓所整備を行い、西門を再建し、門前には豪姫のレリーフを開眼。同時に墓所内に無縁塔が建立されました。
その無縁塔には、身の丈五尺、眉間に紫水晶を埋めた地蔵尊がまつられている。
(残念ながら訪れた時には、その地蔵尊を見つけることはできませんでした)

 

野田山にある豪姫の五輪塔の墓を今も守り、豪姫の位牌と念持仏である聖観音を寺宝として安置しています。

大蓮寺のお地蔵さん

金沢のお地蔵さんは恥ずかしがり屋なのでしょうか?
またまたお厨子の中に入って秘仏化されているお地蔵さんです

大蓮寺の地蔵菩薩

大蓮寺のお地蔵さん

大蓮寺の案内板

時間がなくて、山門や本堂の写真が撮れなかったことが悔やまれます
画像は大蓮寺のウェブサイトなどをチェックしてみてください

大蓮寺へのアクセス

石川県金沢市野町2丁目1-14

金沢駅よりバスで「広小路」下車徒歩3分