お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

六地蔵・五人地蔵など(千駄ヶ谷 聖輪寺・瑞円寺)

千駄ヶ谷の国立競技場の近くにはいくつかお寺があります
ブラブラ歩いていたらお地蔵さんのいるお寺をいくつか見つけることができました

聖輪寺では入り口でかわいいお地蔵さんが出迎えてくれました

千駄ヶ谷、聖輪寺のお地蔵さん

聖輪寺とは

聖輪寺は真言宗豊山派のお寺で、創建された年代は不明
江戸のお寺では浅草寺と並んで千年以上の歴史を持つ江戸の寺である

jizo-bosatsu.hatenablog.com


開山は法印宥光、開基は行基菩薩(神亀2年、725年)
山号は観谷山、院号福聚院
本尊は如意輪観音世菩薩。行基菩薩が作ったといわれており、古来より「千駄谷観音」「眼玉の観音」「赤観音」などとも呼ばれていた名高い観音様です
御府内八十八ヶ所霊場10番、東京三十三観音霊場13番ともなっています

聖輪寺の歴史

聖輪寺は維新後、長らく荒廃していましたが、明治30年ころに復興されました
その時に庚申塔三基、大仏堂との外には、旧観を存するものがなかったので、近来新らたに、青山練兵場の旧地にあつたという稲荷の小祠が建てられました

慶安4年(1651年)奈良県桜井市にある長谷寺の末寺となりました

千駄ヶ谷、聖輪寺境内の立て看板

千駄ヶ谷、聖輪寺の掲示板

六地蔵

千駄ヶ谷、聖輪寺の六地蔵

 五人地蔵

千駄ヶ谷、聖輪寺の五人地蔵

五人地蔵とは聞きなれない言葉ですが、どういった意味があるのでしょうか

聖輪寺の史跡

  • 増譽法印の墓

    増譽、俗姓は真田氏、甲州流の兵學を修めて、生徒に教授し、就いて学ぶものが多かつた。「明良洪範」の著書。墓は正面に 当山第三世 法印増譽
    とあり、左側に、寳永四丁亥 七月二日
    右側に、 甲陽古傳軍術 至光明院七傳 同流十一傳燈 山本氏同人立
    と刻してある。但上文に記した寳永七年在銘の鰐口には、「現住第三世法印宥度」とある。増譽の墓碑にも、第三世と刻し、いづれかに誤があらうと思われるけれども、まだ明証を得ない。

    引用:渋谷区史

聖輪寺の行事

聖輪寺へのアクセス

渋谷区千駄ヶ谷1-13-11
JR中央・総武線 千駄ヶ谷駅 徒歩7分

 

散歩してるともうひとつ瑞円寺というお寺を見つけました

瑞円寺とは

瑞円寺は曹洞宗の寺で、山号は高雲山金剛院、かつては鳩森八幡神社別当寺でした
創建年代等は不詳、庵室として創建され、開山は天寳宗悦だと言われています
本尊は釈迦牟尼

本堂

千駄ヶ谷、瑞円寺の本堂

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瑞円寺の歴史

江戸時代には本尊の釈迦如来塔頭江心院、鎮守稲荷社及び白山社などがあり、境内は三千五百三十四坪あったといわれています。
江心院は寛文年間の起立で開山は円長和尚


「東都歳時記」弁財天百社参の条に、三十番、千駄ヶ谷八幡瑞円寺と見えているから、弁天の社があつて、相当に参詣人のあつたことが知られます。
安政二年の大地震と翌年の風害とによつて、諸堂舎の多くが破損してしまいました

さらに維新の際、神仏分離の事あつて、ますます頽廃を極め、明治六年には、本堂を取縮めて、終に祖像と霊牌とを安置するだけの仮堂に改作するまでになってしまいました。

本堂が復興されたのは明治42年になってからです

瑞円寺の建造物

注目すべきは無縁塔の最上段にある笠付型の六面塔です
六面に地蔵像を浮き彫りにしてあることから六地蔵信仰をあらわすものです
また塔の左側には側面に稲穂をくわえた狐が彫られた庚申塔が2基設置、こちらは稲荷信仰をあらわしているものです
写真を撮り忘れてしまったのが悔やまれます

 

門前へと登る細い坂道は「榎坂」と呼ばれており、かつて榎の巨木があったことに由来しています
境内には梅林があるのでその頃に訪れるのが良いかもしれません

お地蔵さんも見つけることができました

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瑞円寺へのアクセス

渋谷区千駄ヶ谷2-35-1

JR中央・総武線 千駄ヶ谷駅 徒歩7分