お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

とうがらし地蔵(福聚院)

せきどめ地蔵(通称とうがらし地蔵)がある福聚院は浄土宗のお寺で霊應山鎮護寺と号します。
安永3年(1774)に創建され、本尊は小石川七福神の大黒天です
福聚幼稚園が併設されているせいか、あまりお寺っぽくない雰囲気になってます

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本堂

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大黒様

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朽ちかけた石像も

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こちらがとうがらし地蔵

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その由来は明治の中ごろとうがらしの好きなおばあさんが持病のぜん息に苦しんでいたが、医者からとうがらしを止められていたにもかかわらず食するうちに亡くなってしまいました。
そこで近所の人があわれんで地藏尊を造りとうがらしを供えた。
その後、ぜん息に苦しむ人々が祈願すると治りお礼にとうがらしを供えるようになったといわれています。

たくさんのとうがらしがお供えしてありました

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【アクセス】
文京区小石川3-2-23
東京メトロ丸ノ内線南北線「後楽園」駅より徒歩10分
都営地下鉄三田線大江戸線「春日」駅より徒歩10分

こんにゃく閻魔(源覚寺)

後楽園駅に近い文京区にある「源覚寺」は浄土宗のお寺で、寛永元年(1624年)、定誉随波上人により開創されました

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現在までの間に明暦の大火など4度の火災、そして太平洋戦争の東京大空襲の際にも本堂への延焼は免れました
老朽化が進んだ為、現在の本堂は1979年に再建されたものです

塩地蔵目当てで訪れたお寺ですが、有名なのはこんにゃく閻魔
門前一帯「えんま通り商店街」やえんまさまにちなんだお店があるなど、まさに閻魔様推しです

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閻魔大王と言えば、以前お地蔵さんと同一人物という記事を書きました

jizo-bosatsu.hatenablog.com


となると、こんにゃく閻魔イコールこんにゃく地蔵ともいえる訳で俄然注目しなければいけない気になってきます

山門を入って正面にあるのが閻魔堂

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中には閻魔様がいらっしゃいました

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ところでどうしてこんにゃく閻魔とよばれているのでしょう?

公式サイトにはこのような記述があります
宝暦年代のころ(1751年?1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。
以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。

閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っているのはこういった理由があるからです
お参りに来た人がお供えしたこんにゃくがたくたんありました

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夏目漱石の「こころ」や樋口一葉の「にごりえ」など文学作品にも登場する有名な閻魔様なのです

さてこちらがお目当ての塩地蔵

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この塩を体の悪い部分につけてお祈りすると、その部分が治癒するといわれています
隣にはお地蔵さんが良く持っている錫杖も置いてあり、こちらを治したい部分に当ててお祈りしても良いみたいです

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他にも「小石川七福神」のひとつ毘沙門天

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かつて太平洋戦争でサイパンの南洋寺に送られ、平和のシンボルとされている「汎太平洋の鐘」

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南洋群島物故者慰霊像」
第二次世界大戦サイパンなど南洋群島で犠牲になった人たちを追悼する菩薩像)

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嘉永5年(1852)建立の「お百度石」などがありました
(お百度参りの目安に使用する石が置かれています)

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【アクセス】
文京区小石川2-23-14
東京メトロ後楽園駅都営地下鉄春日駅から 徒歩3分

坂下平和地蔵尊・延命地蔵尊(千駄木)

最近観光客も多く、注目を浴びている谷根千
千駄木の「よみせ通り」という商店街に延命地蔵尊」「水洗地蔵尊という地元の人々に愛されているお地蔵さんがあります
毎月24日にはこのお地蔵さんの縁日があって大勢の人で賑わうのだとか
何だか地蔵盆みたいな行事ですね

jizo-bosatsu.hatenablog.com

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元々は長野県南佐久の古刹黄蘗宗玉井山法城院に、今から370年前(寛永年間)より伝わる地元でも評判のお地蔵さんでしたが、地元出身の篤信家の方がお寺にお願いして、昭和8年(1933年)当地に移して安置お祀りしたものです

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すぐそばには「水洗地蔵尊が、こちらはお願い事をしながらその体を洗い清めることによって悩み事や病などにご利益があるのとのこと

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【アクセス】
文京区千駄木3-46-9
東京メトロ千駄木駅 徒歩6分


さらに千駄木周辺を歩いていたら路上のお地蔵さんを見つけました
こちらは交差点の近くに立っていた為、交通事故の供養で建てられたものかと思いましたが違いました
祠に入っている「坂下地蔵尊その由来はこう記してあります

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1945年(昭和20年)3月4日朝、アメリカ空軍B29によって、この地域の千駄木・谷中に多数の爆弾が投下され、大きな被害を受けました。
死者500人以上といわれています。この地には、銭湯「鹿島湯」があり、石炭貯蔵庫を防空壕に使用していました。
同銭湯に爆弾が投下し、防空壕に入っていた赤ちゃんを含む23人の方が犠牲になりました。
1959年(昭和34年)この方々の冥福と戦争を二度と起こさぬことを誓い、近所の人々によって、この地蔵尊が建立され、「坂下平和地蔵尊と命名されました。

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【アクセス】
文京区千駄木3-43-1
東京メトロ 千駄木駅 徒歩2分