お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

輪形(わがた)地蔵 (正行院)

遂にお地蔵さんブログも関西エリアへ進出!
といっても地蔵関連の文献を漁れば地蔵マニアの先人たちは、海外にまでその足を伸ばしているらしく、まだまだ先は長いと思い知らされるばかりです

京都駅のすぐ近くに通称猿寺と呼ばれている浄土宗のお寺(正行院)があります
これはお寺を開山した円誉上人が修行している時に猿に「南無阿弥陀仏」の御名号を書いたお守りを授けられ、そのお守りのお蔭で危機から救われたことに由来します

お寺への参拝には事前申し込みが必要とのことで、たまたま前を通りかかった僕は境内には入れませんでした
しかし門前にあった輪形(わがた)地蔵堂は見ることができました
輪形(わがた)とは牛馬車の通行を楽にするため車の下に敷かれた石を指し、その石から堀り起こされたのが輪形地蔵です
このお地蔵さんには「交通安全」の御利益があるとされています

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残念ながらお堂のすき間からお地蔵さんの姿をのぞくことはできましたが、撮影することは叶いませんでした
お堂の中には竹田街道にあった西国三十三箇所の観音像も共に安置されています

駅の近くにあるので旅行に行く前には旅の安全を祈願してはいかがでしょうか?

【アクセス】
京都市下京区塩小路町744

近くにはやはりお堂の中に入った3体のお地蔵さんを見つけることができました

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京都の路傍のお地蔵さんに関してはこのようにお堂に入っているのが一般的で関東エリアのお地蔵さんのようにそのまま姿を晒していることはほとんどないみたいです

とろけ地蔵など(大圓寺)

久々に多数の石仏のあるお寺に巡り合いました。
もちろんお地蔵さんもたくさん見つけることができました。

目黒駅西口から徒歩約3分、行人坂という急な坂の中腹にある大圓寺です。
目の前には「ホリプロ」もありました。

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【目次】

大圓寺の基本情報

大圓寺天台宗のお寺で、寛永元年(1624)出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として開山しました。
山号は松林山、本尊は釈迦如来

明和9年(1772)寺から発火、江戸三大火事の一つになる行人坂火事である。
再興されたのは幕末の1848年(嘉永元年)になってからのこと、五百羅漢の石像はこの火事による犠牲者の供養のためにつくられたものである。
明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合された。

山門

大圓寺の山門

本堂

本堂

如来

如来堂

生身の釈迦如来

如来堂の中には「生身の釈迦如来」が安置されているのだとか。
当ブログでは生身のお地蔵さんを記事にしたことがありますが、生身の如来様もいらっしゃるのですね。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

薬師如来

体の悪い部分に金箔を貼って「オンコロコロ センダリ マトウギソワカ」と唱えて祈願すれば治癒するのだとか。

 

大圓寺の薬師如来

大円寺石仏群

釈迦三尊像を中心に、十大弟子像、十六羅漢、491基の五百羅漢像が安置。
その数の多さには圧倒されてしまいます。

 

大円寺石仏群

七福神

七福神像

道祖神

道祖神

観世音菩薩

観世音菩薩

庚申塔

庚申塔

とろけ地蔵

江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって捕らえられました。
「悩みをとろけさせ、解消してくれる」ということが名前の由来です。

大圓寺のとろけ地蔵

大圓寺のとろけ地蔵

高円寺にある西照禅寺というお寺にも、とろけ地蔵という通称のお地蔵さんがいます。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

大圓寺のその他のお地蔵さん

身代わり地蔵

大圓寺の身代わり地蔵尊

六地蔵

六地蔵

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お七地蔵

大圓寺は吉三(きちざ)ゆかりのお寺でもあります。
吉三とは歌舞伎や芝居などで知られる八百屋お七が恋した寺小姓のことです。

吉三に逢いたいあまり自宅に火を放ってしまったお七は、放火の罪で火刑に処されてしまいます。

お七の処刑後、出家した吉三は西運と名を改め、目黒の明王院に入るとお七の菩提を弔うために、浅草観音までの往復10里の道のりを念仏を唱えながら通うという一万日の行を発願。

27年5か月をかけてこれを成し遂げた夜に西運の夢枕にお七が現れます。
その時の姿を現したのが大圓寺阿弥陀堂の中に阿弥陀三尊と共に安置されているお七地蔵なのです。 

阿弥陀堂

阿弥陀堂

 

ちなみにお七のお墓は文京区にある円乗寺に、お七の苦しみを代受苦としてその身に受けているほうろく地蔵は文京区の大円寺にあります。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

jizo-bosatsu.hatenablog.com

 

石材

 

吉三が造った橋の石材もありました。

 

お

お七の井戸

隣接するホテル雅叙園には、お七の井戸もありました。
この井戸はお七が恋焦がれた西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら水垢離をとったとされることからお七の井戸と呼ばれています。

 

大圓寺へのアクセス

目黒区下目黒1-8-5

最寄り駅:JR線 目黒駅

 

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南谷寺(目赤不動尊)

南谷寺天台宗のお寺で本尊が目赤不動尊であることでも知られている
目赤不動尊江戸五色不動のひとつであり、関東三十六不動第13番不動でもあります

 

jizo-bosatsu.hatenablog.com

お寺を開いた万行律師は熱心な不動明王の信仰者で、ある夜に夢の中で伊賀国(現在の三重県)の赤目山に行くようにお告げを受けました
そこで熱心な赤目山の山頂に行って祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったとの言い伝えがあります
かつては赤目不動と呼ばれていましたが、寛永5年(1628年)鷹狩に訪れた三代将軍・徳川家光によって目赤不動と呼ぶように命じられました
これは既に存在した目黒不動目白不動に倣ってのことだと言われています

jizo-bosatsu.hatenablog.com


同時に現在の地を与えられ(かつては本駒込3丁目付近にありました)南谷寺の寺号となるとともに上野の寛永寺末寺となりました

 

かつて不動尊のあった地は現在では動坂と呼ばれており、目赤不動跡と呼ばれるお堂があり、日限地蔵と呼ばれるお地蔵さんがいました
しかしお堂は1985年の土地整理で取り壊され、お地蔵さんは徳源院という近くのお寺に移されました

 

南谷寺目赤不動尊両方の門柱が入り口左右にあって分かりやすいです

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山門を入るとすぐに六地蔵の姿も

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正面には本堂が

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不動堂もすぐそばにあります

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【アクセス】
文京区本駒込1-20-20
最寄り駅:地下鉄南北線本駒込駅