お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

マンガ地蔵、道標地蔵尊(金剛院)

マンガ地蔵とは、数々の有名漫画家を輩出したトキワ荘のあった椎名町にマンガ・アート・文化・歴史・地域の活性化を進めるため、東京都豊島区にある金剛院という真言宗豊山派のお寺に建立されたお地蔵さんです。

 

マンガ地蔵

ペン先の光背、衣はマンガのようにコマ割りされ、フキダシと擬音が描かれています。

 

僕もかつてはまんが道という藤子不二雄の自伝的長編青春漫画に影響を受けて漫画家を目指していた時期があります。

 

まんが道の舞台となっているのがトキワ荘


そのトキワ荘のあった街「椎名町」にてトキワ荘協働プロジェクトの一環としてマンガ地蔵がつくられたと知って「これは行かねば!!」と思い駆け参じました。

 

マンガ地蔵のある金剛院は、西武池袋線椎名町駅北口の目の前にありました。

 

金剛院の基本情報

金剛院は真言宗豊山派のお寺で、1522年(大永2年)、聖弁和尚(しょうべんわじょう)によって開創。
山号は蓮華山、寺号は仏性寺。
本尊は阿弥陀三尊、御府内八十八箇所霊場の第76番札所にもなっています。

山門

金剛院の赤門

 

1780年(安永9年)に建立され、赤門の通称で知られています。
朱塗りの門を作るということは将軍家と縁のある家などにだけ許される名誉あることだったそうです。
金剛院に山門を朱塗りとする許可が下りたのは、天明年中(1781 - 1788年)に発生した大火の際に多くの罹災者を金剛院で収容し助けた功績に対しての褒章によるものです。
豊島区有形文化財となっています。

寺号標

金剛院の寺号標

本堂

本堂

マンガ地蔵

漫画原点の街を伝えながら、様々なクリエイティブの領域で活躍される方々と、マンガ・アート・文化・歴史・地域の活性化を図るために点と点が線となり、面になる「縁から円」につながることを象徴しているのだとか。

マンガ地蔵

創造と縁を結ぶ「マンガ地蔵」

 

漫画と地蔵のコラボとなっていることは、錫杖の代わりにGペンを持っていたり、衣の柄に漫画を描くときの擬音や吹き出しがあることからも分かります。

 

マンガ地蔵の仏体


またマンガ地蔵は「なで仏」として想像の力を授かるというご利益もあるそうです。
創発としまの小林俊史さん監修のもとトキワ荘協働プロジェクトメンバーの一之瀬光太郎さんと斎藤基貴さんにデザインされたもので、トキワ荘の方角を向いて立っています。

金剛院で見つけたその他のお地蔵さん

マンガ地蔵だけでなく、お地蔵さんっぽい石仏を何体も見つけることができました。

二体並んだお地蔵さん

お地蔵さん

地蔵菩薩像

座ったお地蔵さん

道標地蔵尊

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こちらは寛政8年(1796年)8月24日に道標(みちしるべ)をかねて造立されました
台石には「念仏供養」、その左右には、「北・下坂橋道、南・ほりの内道」という文字がきざまれています。ほりの内というのは杉並区堀ノ内のことです。


江戸時代には、宿場町としてさかえた中山道の板橋仲宿方面、またやくよけお祖師さまの堀ノ内妙法寺へ参拝する人の道しるべになっていて、南北に伸びる道があったことを教えてくれています。
またこの御仏体の一部は江戸城築城の際に使われた石が一部使われているそうです

 

マンガ地蔵の御朱印

マンガ地蔵の御朱印

 

椎名町ではトキワ荘ゆかりの地巡りもしました。
その際に見つけたお地蔵さんを別の記事に書きましたので、良かったらあわせて読んでみてください。

jizo-bosatsu.hatenablog.com

長崎不動尊

長崎不動尊

 

金剛院の不動尊(長崎不動尊)は昭和24年(1949)に門前にお堂が建てられました。

 

不動尊

 

毎月8日の縁日では多くの露店が並び、賑わうとのことです。

金剛院へのアクセス

豊島区長崎1-9-2

最寄り駅:西武池袋線 椎名町駅より徒歩1分

地蔵王菩薩像(中華義荘)

以前記事でも紹介した地蔵王菩薩を見に横浜まで行ってきました
蔵王菩薩とはお地蔵さんの中国での呼び名であり、閻魔大王と同一視されていることから一風変わった姿のお地蔵さんが見れそうです

jizo-bosatsu.hatenablog.com

町中華街駅からアクセスしたのですが、実に遠かった・・
天候が悪い日などは素直にバスを利用した方が良さそうです
場所も住宅街にあって実に分かりづらいです(Google Maps必須かもしれません)

 

中華義荘は地元では南京墓地と呼ばれており、元々横浜外国人墓地に埋葬されていた華人、華僑が1873年に現在の地に移されたものである

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1892年には当時横浜に生活していた中国の商人たちの献金などにより、地蔵王廟という中庭を建物が取り囲む廟が建てられ、木造、黒漆塗、金泥仕上げに彩色された厨子に地蔵王菩薩坐像が安置されました
蔵王菩薩坐像は当時使用されていなかった脱活乾漆の技法を用いていることから、中国で製作されたものと考えられています
中国でも地蔵菩薩信仰は唐代7世紀ごろから始まり、唐末には民間の道教信仰と結びついて広まりました
清朝官人風の帽子をかぶっているのが特徴的な像です
また一般的に地蔵菩薩は服装は袈裟など質素なものが多いのに対して、金ピカで実に豪華な服で着飾っていますね

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蔵王廟の主材料は広州から船で運搬され、外壁や屋根材は横浜で調達したみたいです
現存する市内の近代建築物としては最古のものとのことなので一見の価値ありです

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横浜には山手にある外人墓地と中華義荘の他にも「横浜根岸外国人墓地」「英連邦戦死者墓地」があります

蔵王廟、地蔵王菩薩坐像及び厨子は、1990年に横浜市指定有形文化財に指定されました

【アクセス】
横浜市中区大芝台7
最寄り駅:JR根岸線 山手駅より徒歩20分
横浜駅から103系統で山元町2丁目下車 徒歩3分

 

お地蔵さんの見分け方

 

この記事が記念すべき?50記事目となります

今回は久々にコラムを書いてみようかと思います

 

お寺などにお地蔵さん探しに行くと「果たしてこの石仏はお地蔵さんなのか?」と悩むことがあります
以前に地蔵と銘打たれていても、実は違っていたりすることがあるということを記事にしたことがあります

jizo-bosatsu.hatenablog.com


僕自身も判断に悩むケースも多々あります
その場合はどういったことに注目するか、幾つかお地蔵さんの特徴をあげながら説明したいと思います

1.「錫杖(しゃくじょう)」と「如意宝珠」を持つ

 

錫杖とは遊行僧が携帯する道具(比丘十八物)の一つである杖
銅や鉄などで造られた頭部の輪形に遊環(ゆかん)が6個または12個通してあり、音が出る仕組みになっています
猛犬や野獣から身を守る護身用の武器であると同時に家人に来訪したことを知らせる役割もあります
長さは通常170cm前後であるとされています

如意宝珠とは仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと
一般的な形状は下部が球形、上部が山なりに湾曲して尖っています。

どちらも実際の地蔵菩薩像を見てもらうと分かりやすいでしょう

僕はまずこの二つの持ち物に着目します
しかし例外もあって制作年代が古い地蔵は錫杖は持っておりません(例:法隆寺地蔵菩薩立像,勝軍地蔵)

2.赤いよだれかけをしている

 

これは以前記事でも紹介しました

jizo-bosatsu.hatenablog.com


まずお地蔵さんの特徴としてこの赤いよだれかけを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
僕は①と②の条件を満たした段階でほぼお地蔵さん認定を出してしまいます

3.坊主頭である

 

仏像(如来像)には奈良の大仏を思い浮かべてもらえれば分かりやすいと思うが、螺髪と呼ばれる丸まった髪の毛は頭部にある

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対してお地蔵さんは基本的に坊主頭である
そして白毫(びゃくごう)と呼ばれる白く長い毛が眉間のやや上に丸まって生えている場合も多い
下記イラスト赤丸部分です

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4.服装は袈裟、派手な装飾具は身につけない

 

地蔵以外の菩薩(弥勒菩薩観音菩薩など)が冠、首飾りなどの装飾品を身につけているのに対して、お地蔵さんは1で紹介したの持ち物以外はほとんど身につけていない
また服装も袈裟など質素なものであることが多い
これはお地蔵さんが庶民的な菩薩であることと関係があるのかもしれませんね

1~4の条件を全て満たしていれば、まずそれはお地蔵さんだとみなして良いのではないでしょうか?