お地蔵さんブログ

お地蔵さんの写真や解説などを記しています

快慶作のお地蔵さん(藤田博物館)

木造地蔵菩薩立像

画像引用:藤田美術館快慶作の地蔵菩薩

 

快慶は鎌倉時代初頭に活動した仏師です。
同じ流派(慶派)の巨匠として運慶がおり、共作である東大寺南大門の金剛力士像の印象が強いが、その作風には違いがあります。
運慶は力強く荒々しい表現が特徴である一方、快慶は繊細で優美な表現が特徴的です。
作風的には快慶の方がお地蔵さんとの相性が良い気がしますが、その手によって生まれたお地蔵さんはあまり多くないみたいです。

 

【目次】

 

藤田美術館地蔵菩薩

藤田美術館とは

藤田美術館大阪市都島区網島町にある美術館です。
明治時代に活躍した藤田傳三郎と息子たちによって作られました。
彼らは、大名旧家や寺社に伝わる文化財が海外に流出したり、国内で乱雑に扱われることに危機感を抱きました。
傳三郎は実業家でありながら美術品の愛好家でもあり、美術品の収集を通じて国の宝を守ることを決意しました。
彼の想いは息子たちに受け継がれ、1954年に藤田美術館が開館しました。

 

快慶作の地蔵菩薩

快慶作の地蔵菩薩

画像引用:藤田美術館「快慶作の地蔵菩薩

 

藤田美術館に収蔵されている快慶作の地蔵菩薩は、木造で高さは約60㎝。
1208年~1227年頃の間に造られたと考えられています。
目はガラスを嵌め込んだ玉眼となっており、光背は金属製でこの地蔵菩薩のために作られたものではなく、他の像(文殊菩薩であろう)からの転用と言われています。

 

日本画と同じような顔料で彩色され、非常に色鮮やかな地蔵菩薩です。
驚くべきことに修復などで塗りなおしておらず、彩色は当時のまま残っています。
これは厨子に入っていたことが理由であると考えられています。

 

雲の上に蓮台があり、その上に立っており、雲に乗って飛ぶ姿を表現しています。
このことは空を飛ぶような前傾姿勢になっていること、横から見ると棚引く雲の尻尾が見えることからも分かります。

 

また明治39年に奈良の興福寺にあったことが分かっています。
藤田美術館に渡った正確な経緯は不明ですが、廃仏稀釈で荒廃した興福寺が、復興を目指して破損仏を売却した中に含まれていたと言われています。

なおこの地蔵菩薩重要文化財に指定されています。

 

この記事の作成にあたって、ウェブサイトからの画像引用の許可を頂きました。
藤田美術館のスタッフの方に心より感謝申し上げます。

 

藤田美術館へのアクセス

大阪市都島区網島町10-32
JR東西線 大阪城北詰駅より徒歩1分
京阪電鉄 京橋駅より徒歩10分
大阪メトロ長堀鶴見緑地線京橋駅より徒歩7分

 

fujita-museum.or.jp

 

快慶作のその他の地蔵菩薩

藤田美術館地蔵菩薩以外に快慶が作った地蔵菩薩

 

 

などあまり数は多くありません。
参考「快慶」ウィキペディアページ

延命地蔵塔(豊島区)

延命地蔵塔

 

とげぬき地蔵尊で著名な「巣鴨地蔵通り商店街」から種子地蔵のある「大正大学」に向かう途中に偶然見つけた延命地蔵塔です。

 

【目次】

 

延命地蔵尊

 

中山道にある「延命地蔵尊」と書かれた路地を入ります。

 

延命地蔵堂の石仏群

 

するとすぐに「延命地蔵堂の石仏群」と書かれた建物が見えてきます。

 

延命地蔵堂の石仏群

以下は地蔵堂の近くにあった「豊島区教育委員会掲示板」より抜粋したものです。

 

江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。
その墓標として延命地蔵が建立された。以来、さまざまな供養塔が集まった。

昭和二十年(1945)四月十三日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけた。
終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再建し、毎年八月二十四日に法要が行われている。
平成二十四年(2012)十一月、地域の民間信仰を示すものとしてその重要性が評価され、豊島区登録有形民俗文化財となった。

 

延命地蔵

延命地蔵塔

 

延命地蔵堂の中心となる地蔵尊である。
角柱型の安山岩に、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ半跏座像の地蔵が浮彫されている。
現在は傷みが激しく、建立年代等を知ることはできないが、地蔵像の形式などから、江戸時代初期のものと推定される。

 

地蔵像庚申塔馬頭観音

地蔵像庚申塔と馬頭観音塔

 

この庚申塔(画像右)については、かつては上部に日月があり、中央に地蔵菩薩立像、その下に三猿が描かれていたという明治期の記録がある。

馬頭観音塔(画像左)の台座前面の銘は一部欠損しているが、もとは「馬頭観世音」とあったとみられる。
巣鴨の住民が建立したものである。

 

延命地蔵堂の石仏群へのアクセス

東京都豊島区西巣鴨2-33-10

 

 

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嘗試地蔵(味見地蔵)

高野山奥の院には、嘗試地蔵(味見地蔵)という珍しい名前のお地蔵さんが安置されています。
管理人未訪の地ではありますが、基本情報と共に紹介していきたいと思います。

 

【目次】

 

高野山奥の院とは

高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。
正式には一の橋から参拝します。
一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。

引用:高野山真言宗総本山金剛峯寺公式サイト

 

嘗試地蔵(味見地蔵)

とても珍しい名前のお地蔵さんです。
その名前の由来を調べてみました。

 

その前に高野山では空海が今もなお御廟(永遠の瞑想に入った場所)に生き、世界平和と人々の幸福を願い瞑想を続けていると信じられている(弘法大師信仰)ことを知っておく必要があります。

 

そのため現在でも弘法大師空海)に供える日々の生身供(しょうじんぐ)を御供所で作り、毎日2回、僧侶が御廟に運んでいるのです。

 

生身供は弘法大師に届けられる前に毒見する儀式が行われます。
儀式で毒見(味見)するのが、この嘗試地蔵(味見地蔵)というわけです。

 

嘗試地蔵(味見地蔵)は元来、愛漫(あいまん)・愛語(あいご)と呼ばれる弘法大師の食事の世話をした二人の弟子が、御廟橋の傍に「御厨明神(みくりやみょうじん)」として祀られていたものだと言われています。

 

なお味見の儀式は、毎朝6時と10時30分行われ、一般参拝者も見学が可能とのことです。
この地も地蔵信者としては、いずれ訪れなければいけないと思っています。

 

www.koyasan.or.jp

 

高野山奥の院へのアクセス

和歌山県伊都郡高野町高野山
南海電鉄高野線高野山駅から南海バス奥の院前」下車、徒歩20分

 

 

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